福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

災害の繰り返し起こる理由

2013-11-15 | 法話
フィリピンの台風災害の悲惨さは東日本大震災を彷彿とさせるものがあります。家族を亡くした被災者の映像は正視することができません。こうして繰り返し異常現象が起き、その都度数知れない人々が阿鼻叫喚地獄にのたうち回らねばならないのはなぜか。毎回神も仏もないのかと自問自答する日々です。
 最近こういう大災害がとくにおおいという報道もありますが古来、人類は多くの災害に遭いその都度重大深刻な犠牲者を出してきました。
 しかし経典には繰り返し衆生の心が国土を清らかにする(安泰にする)と書いてあります。維摩経には有名な『衆生浄きが故に国土清し』という句があります。不空三蔵訳「仏説大孔雀明王画像壇場儀軌」には「諸の世間に災禍逼悩刀兵飢饉亢旱疾疫四百四病憂悩闘争あり。及び八万四千の鬼魅ありて、有情を嬈悩し、求むるところの世間出世権の勝願に多く障害あるは、皆無始以来の貪愛無明虚妄分別の三毒ありて、実相を了せず、不善を積集するによる」とあります。災害も我々の積み重なる不善によるものだといっているのです。
 栄西禅師の興禅護国論にも「仁王経に曰『佛、般若をもって現在、未来世の諸の小国王等に付属してもって護国の秘法とす』と。其の般若とは禅宗なり。謂く、『境内にもし持戒の人あればすなわち諸天その国を守護す』と云々。・・・楞厳経に曰『佛のいわく、阿難よこの四種の律儀を持して、皎たること氷霜の如く、一心に我が般若壇怛羅呪(大白傘蓋神呪)を誦せよ。・・・この娑婆界に八万四千の災変の悪星、二十八の大悪星あり。世に出現せんとき、能く災変を生せんも、この呪ある地は悉くみな消滅せん。十二由旬に結界の地となりて、諸悪災障永く入ることあたわず。』」と書いて、衆生の行動が清らかで心も清らかであれば国土は安泰であると経典を種々引用しています。
 これらの経典の句を逆から読めばば現在の多発する災害は衆生の心身が乱れているためという事になります。確かに先進国の資源浪費、温暖化ガスの排出、環境汚染、地域紛争など欲望や憎悪で膨れ上がった心がひきおこしている面があることは否定できません。
 しかし最近もっと深いところで見る必要があるかもしれないと感じています。それは衆生の末那識の集合体(共業)が深く自分たちの悪業を自覚した挙句、その償いをするために無意識のうちに自分たちの仲間の中から人身御供を差し出しているのではないかということです。そうであればなおさら日々の人類の心を清らかなものに転化するほか今後の人類の救いはないことになります。
 
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