「源空が信心も如来よりたまはりける信心なり。善信房の信心も如来よりたまはらせたまひる信心なり。さればたゞひとつなり」(歎異抄にある法然上人の言葉)
これは親鸞聖人が法然上人のお弟子のときに、「自分の信心と法然上人の信心は同じ信心である」と言ったことに対し兄弟子の誓観房・念仏房が「法然上人と弟子である善信房(親鸞聖人)の信心が同じわけがない」と否定しましたが法然上人が上記のように言って「如来より賜りたる信心は同じである」といったということです。
これを真言宗流にいえば「お大師様よりたまはりける信心はただひとつなり」ということになります。お大師様を信ずる心はお大師様より与えられたものです。此のお大師様を信ずる、という心そのものがお大師様より大師信者に与えられているのです。感激の極みです。
これは親鸞聖人が法然上人のお弟子のときに、「自分の信心と法然上人の信心は同じ信心である」と言ったことに対し兄弟子の誓観房・念仏房が「法然上人と弟子である善信房(親鸞聖人)の信心が同じわけがない」と否定しましたが法然上人が上記のように言って「如来より賜りたる信心は同じである」といったということです。
これを真言宗流にいえば「お大師様よりたまはりける信心はただひとつなり」ということになります。お大師様を信ずる心はお大師様より与えられたものです。此のお大師様を信ずる、という心そのものがお大師様より大師信者に与えられているのです。感激の極みです。