福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

インドラの網 宮沢賢治

2013-10-09 | 法話

インドラの網

宮沢賢治





 そのとき私は大へんひどく疲つかれていてたしか風と草穂との底そこに倒ていたのだとおもいます。
 その秋風の昏倒の中で私は私の錫すずいろの影法師にずいぶん馬鹿ていねいな別の挨拶をやっていました。
 そしてただひとり暗いこけももの敷物カを踏でツェラ高原をあるいて行きました。
 こけももには赤い実もついていたのです。
 白いそらが高原の上いっぱいに張はって高陵産カオリンさんの磁器よりもっと冷く白いのでした。
 稀薄な空気がみんみん鳴っていましたがそれは多分は白磁器の雲の向をさびしく渡った日輪がもう高原の西を劃かぎる黒い尖々の山稜の向うに落おちて薄明が来たためにそんなに軋でいたのだろうとおもいます。
 私は魚のようにあえぎながら何べんもあたりを見まわしました。
 ただ一かけの鳥も居いず、どこにもやさしい獣のかすかなけはいさえなかったのです。
(私は全体ぜんたい何をたずねてこんな気圏の上の方、きんきん痛いたむ空気の中をあるいているのか。)
 私はひとりで自分にたずねました。
 こけももがいつかなくなって地面は乾た灰はいいろの苔で覆れところどころには赤い苔の花もさいていました。けれどもそれはいよいよつめたい高原の悲痛を増ますばかりでした。
 そしていつか薄明は黄昏に入りかわられ、苔の花も赤ぐろく見え西の山稜の上のそらばかりかすかに黄いろに濁にごりました。
 そのとき私ははるかの向むこうにまっ白な湖みずうみを見たのです。
(水ではないぞ、また曹達ソーダや何かの結晶けっしょうだぞ。いまのうちひどく悦よろこんで欺だまされたとき力を落おとしちゃいかないぞ。)私は自分で自分に言いました。
 それでもやっぱり私は急いそぎました。
 湖はだんだん近く光ってきました。間もなく私はまっ白な石英せきえいの砂すなとその向うに音なく湛たたえるほんとうの水とを見ました。
 砂がきしきし鳴りました。私はそれを一つまみとって空の微光びこうにしらべました。すきとおる複六方錐ふくろくほうすいの粒つぶだったのです。
(石英安山岩せきえいあんざんがんか流紋岩りゅうもんがんから来た。)
 私はつぶやくようにまた考えるようにしながら水際みずぎわに立ちました。
(こいつは過冷却かれいきゃくの水だ。氷相当官こおりそうとうかんなのだ。)私はも一度いちどこころの中でつぶやきました。
 全まったく私のてのひらは水の中で青じろく燐光りんこうを出していました。
 あたりが俄にわかにきいんとなり、
(風だよ、草の穂ほだよ。ごうごうごうごう。)こんな語ことばが私の頭の中で鳴りました。まっくらでした。まっくらで少しうす赤かったのです。
 私はまた眼めを開ひらきました。
 いつの間にかすっかり夜になってそらはまるですきとおっていました。素敵すてきに灼やきをかけられてよく研みがかれた鋼鉄製こうてつせいの天の野原に銀河ぎんがの水は音なく流ながれ、鋼玉こうぎょくの小砂利こじゃりも光り岸きしの砂も一つぶずつ数えられたのです。
 またその桔梗ききょういろの冷つめたい天盤てんばんには金剛石こんごうせきの劈開片へきかいへんや青宝玉せいほうぎょくの尖とがった粒やあるいはまるでけむりの草のたねほどの黄水晶きずいしょうのかけらまでごく精巧せいこうのピンセットできちんとひろわれきれいにちりばめられそれはめいめい勝手かってに呼吸こきゅうし勝手にぷりぷりふるえました。
 私はまた足もとの砂すなを見ましたらその砂粒すなつぶの中にも黄いろや青や小さな火がちらちらまたたいているのでした。恐おそらくはそのツェラ高原の過冷却湖畔かれいきゃくこはんも天の銀河ぎんがの一部いちぶと思われました。
 けれどもこの時は早くも高原の夜は明けるらしかったのです。
 それは空気の中に何かしらそらぞらしい硝子ガラスの分子のようなものが浮うかんできたのでもわかりましたが第一だいいち東の九つの小さな青い星で囲かこまれたそらの泉水せんすいのようなものが大へん光が弱くなりそこの空は早くも鋼青こうせいから天河石てんがせきの板いたに変かわっていたことから実じつにあきらかだったのです。
 その冷つめたい桔梗色ききょういろの底光そこびかりする空間を一人の天が翔かけているのを私は見ました。
(とうとうまぎれ込こんだ、人の世界せかいのツェラ高原の空間から天の空間へふっとまぎれこんだのだ。)私は胸むねを躍おどらせながら斯こう思いました。
 天人てんにんはまっすぐに翔けているのでした。
(一瞬いっしゅん百由旬ゆじゅんを飛んでいるぞ。けれども見ろ、少しも動うごいていない。少しも動かずに移うつらずに変らずにたしかに一瞬百由旬ずつ翔けている。実にうまい。)私は斯うつぶやくように考えました。
 天人の衣ころもはけむりのようにうすくその瓔珞ようらくは昧爽まいそうの天盤てんばんからかすかな光を受うけました。
(ははあ、ここは空気の稀薄きはくが殆ほとんど真空しんくうに均ひとしいのだ。だからあの繊細せんさいな衣のひだをちらっと乱みだす風もない。)私はまた思いました。
 天人は紺こんいろの瞳ひとみを大きく張はってまたたき一つしませんでした。その唇くちびるは微かすかに哂わらいまっすぐにまっすぐに翔かけていました。けれども少しも動かず移らずまた変りませんでした。
(ここではあらゆる望のぞみがみんな浄きよめられている。願ねがいの数はみな寂しずめられている。重力じゅうりょくは互たがいに打うち消けされ冷つめたいまるめろの匂においが浮動ふどうするばかりだ。だからあの天衣てんいの紐ひもも波なみ立たずまた鉛直えんちょくに垂たれないのだ。)
 けれどもそのとき空は天河石てんがせきからあやしい葡萄瑪瑙ぶどうめのうの板いたに変かわりその天人の翔ける姿すがたをもう私は見ませんでした。
(やっぱりツェラの高原だ。ほんの一時のまぎれ込こみなどは結局けっきょくあてにならないのだ。)斯こう私は自分で自分に誨おしえるようにしました。けれどもどうもおかしいことはあの天盤のつめたいまるめろに似にたかおりがまだその辺へんに漂ただよっているのでした。そして私はまたちらっとさっきのあやしい天の世界せかいの空間を夢ゆめのように感かんじたのです。
(こいつはやっぱりおかしいぞ。天の空間は私の感覚かんかくのすぐ隣となりに居いるらしい。みちをあるいて黄金いろの雲母うんものかけらがだんだんたくさん出て来ればだんだん花崗岩かこうがんに近づいたなと思うのだ。ほんのまぐれあたりでもあんまり度々たびたびになるととうとうそれがほんとになる。きっと私はもう一度いちどこの高原で天の世界せかいを感ずることができる。)私はひとりで斯こう思いながらそのまま立っておりました。
 そして空から瞳ひとみを高原に転てんじました。全まったく砂すなはもうまっ白に見えていました。湖みずうみは緑青ろくしょうよりももっと古びその青さは私の心臓しんぞうまで冷つめたくしました。
 ふと私は私の前に三人の天の子供こどもらを見ました。それはみな霜しもを織おったような羅うすものをつけすきとおる沓くつをはき私の前の水際みずぎわに立ってしきりに東の空をのぞみ太陽たいようの昇のぼるのを待まっているようでした。その東の空はもう白く燃もえていました。私は天の子供らのひだのつけようからそのガンダーラ系統けいとうなのを知りました。またそのたしかに于コウタン大寺の廃趾はいしから発掘はっくつされた壁画へきがの中の三人なことを知りました。私はしずかにそっちへ進すすみ愕おどろかさないようにごく声低ひくく挨拶あいさつしました。
「お早う、于大寺の壁画の中の子供さんたち。」
 三人一緒いっしょにこっちを向むきました。その瓔珞ようらくのかがやきと黒い厳いかめしい瞳。
 私は進みながらまた云いいました。
「お早う。于コウタン大寺の壁画の中の子供さんたち。」
「お前は誰だれだい。」
 右はじの子供こどもがまっすぐに瞬またたきもなく私を見て訊たずねました。
「私は于大寺を沙すなの中から掘ほり出した青木晃あおきあきらというものです。」
「何しに来たんだい。」少しの顔色もうごかさずじっと私の瞳ひとみを見ながらその子はまたこう云いいました。
「あなたたちと一緒いっしょにお日さまをおがみたいと思ってです。」
「そうですか。もうじきです。」三人は向むこうを向むきました。瓔珞ようらくは黄や橙だいだいや緑みどりの針はりのようなみじかい光を射い、羅うすものは虹にじのようにひるがえりました。
 そして早くもその燃もえ立った白金のそら、湖みずうみの向うの鶯うぐいすいろの原のはてから熔とけたようなもの、なまめかしいもの、古びた黄金、反射炉はんしゃろの中の朱しゅ、一きれの光るものが現あらわれました。
 天の子供らはまっすぐに立ってそっちへ合掌がっしょうしました。
 それは太陽たいようでした。厳おごそかにそのあやしい円まるい熔けたようなからだをゆすり間もなく正しく空に昇のぼった天の世界せかいの太陽でした。光は針や束たばになってそそぎそこらいちめんかちかち鳴りました。
 天の子供こどもらは夢中むちゅうになってはねあがりまっ青さおな寂静印じゃくじょういんの湖の岸硅砂きしけいしゃの上をかけまわりました。そしていきなり私にぶっつかりびっくりして飛とびのきながら一人が空を指さして叫さけびました。
「ごらん、そら、インドラの網あみを。」
 私は空を見ました。いまはすっかり青ぞらに変かわったその天頂てんちょうから四方の青白い天末てんまつまでいちめんはられたインドラのスペクトル製せいの網、その繊維せんいは蜘蛛くものより細く、その組織そしきは菌糸きんしより緻密ちみつに、透明とうめい清澄せいちょうで黄金でまた青く幾億いくおく互たがいに交錯こうさくし光って顫ふるえて燃えました。
「ごらん、そら、風の太鼓たいこ。」も一人がぶっつかってあわてて遁にげながら斯こう云いいました。ほんとうに空のところどころマイナスの太陽ともいうように暗くらく藍あいや黄金や緑みどりや灰はいいろに光り空から陥おちこんだようになり誰だれも敲たたかないのにちからいっぱい鳴っている、百千のその天の太鼓は鳴っていながらそれで少しも鳴っていなかったのです。私はそれをあんまり永ながく見て眼も眩くらくなりよろよろしました。
「ごらん、蒼孔雀あおくじゃくを。」さっきの右はじの子供が私と行きすぎるときしずかに斯う云いました。まことに空のインドラの網のむこう、数しらず鳴りわたる天鼓てんこのかなたに空一ぱいの不思議ふしぎな大きな蒼い孔雀が宝石製ほうせきせいの尾おばねをひろげかすかにクウクウ鳴きました。その孔雀はたしかに空には居おりました。けれども少しも見えなかったのです。たしかに鳴いておりました。けれども少しも聞えなかったのです。
 そして私は本統ほんとうにもうその三人の天の子供らを見ませんでした。
 却かえって私は草穂くさぼと風の中に白く倒たおれている私のかたちをぼんやり思い出しました。






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