第十三 発菩提心章(真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・14
(覚りを求めるならば先ず菩提心を起こさなければならない。つまり、凡聖不二と信じ自分も必ず三密行を修行して無上菩提を得よう、と願う心がなければならない。)
凡そ無上菩提を成ぜんと思はば先ず菩提心を発すべし。菩提心とは万行の根本、成仏の正因なり。大日経には「菩提心以因」(大毘盧遮那成佛神變加持經卷第一入眞言門住心品第一「佛言菩提心爲因悲爲根本方便爲究竟祕密主云何菩提謂如實知自心」)と説き、金剛頂経には「成仏の正因、智慧の根本」(金剛頂瑜伽中略出念誦經巻三に「菩提心者。從大悲起。爲成佛正因智慧根本。能破無明業報。能摧破魔怨。」と説き、疏主三蔵(大日経疏の著者善無畏三蔵)は「この心は猶し憧旗の如し,是衆行の導首なり、猶し種子の如し、是万行の根本なり」(大毘盧遮那成仏神変経疏巻三「次明阿闍梨衆徳。經云應發菩提心者。謂生決定誓願。一向志求一切智智。必當普度法界衆生。此心猶如幢旗。是衆行導首。猶如種子。是萬徳根本。若不發此心」)と釈し給うへり。若し能くこの心をおこす者は修行成じやすく、成仏遠からず。若しこの心を発せざる者は修行成ぜず、成仏はなほ遥かまり。大事の因縁これに過ぎたるはまし。
菩提心といふは白浄信心なり。又は決定誓願と名つ゛く。法身如来の凡聖不二の理を信ずといふはこれ信心なり。次に偏に無上菩提を成ぜんと願ふといふは是誓願なり。信ずるが故に誓願し、信ぜざれば誓願せず。故に信心は体(本質)にして誓願は用(作用)なりと知るべし。
信心とはこれに三重あり。
一には一切衆生色心の実相は常にこれ毘盧遮那如来の体性にして衆生と佛は平等平等なりと諦信決定するなり。
二には吾等衆生本来成仏すれども無始以来無明煩悩に依りて覆はるるがゆえに自ら覚悟する能わず、種々の業をつくりて生死の苦を受く。若し如来の教法に依りて説の如く精通して修すれば頓悟涅槃すべし、と諦信決定する是なり。是即ち法身如来の所説に隋順して迷悟の因果を信ずるなり。
三には三密の妙行は法身内証の境界にして当覚十地も見聞すること能わず。如来加持力を以て衆生の為に開示したまふ。是を名つ゛けて頓悟成仏神通乗といふ。究竟成仏の妙道これを措きて他を求むるべからず。我等宿殖善根力に依るがゆえに今、幸いにこの妙道に逢うことを得たり。若し如説に修行する時は、如来の三密に加持せらるるがゆえに無明忽ちに明となり、一念の頃に無上覚を成ずることを得べしと諦信決定するこれなり。是即ち法身如来の所説に隋順して三密の妙行を信ずるなり。是を三重とす。義相は三重なれども総じてこれをいはば凡聖不二の理を信ずるほかなし。この如く諦信決定するとき自ら誓願の心を生じて我れ必ず三密の妙行を修行して色心の実相を証悟し無上菩提を成ぜんと願ふ。之を三摩地の菩提心といふなり。一切の行者必ずこの心を発すべし。是成仏の因なり。