福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

中島さんが先般の坂東巡礼の記録を作ってくださいました

2014-09-12 | 開催報告/巡礼記録
9月7日、坂東札所第24番楽法寺、20番西明寺、17番満願寺に巡礼してきました。

結願まであとわずか、巡礼行く朝にも気合いが入ります。宇都宮駅に9時30分に集合。
早朝は激しい雨が降っていたが、小雨になり、別名、雨引観音と言われる第24番楽法寺に着いた頃にはすっかり雨は上がっていました。これまでの巡礼でも何回かそんな事があり、巡礼道を観音様に守られているような不思議な気さえしてきます。
楽法寺は、寺伝によれば西暦578年法輪独守居士によって創建された真言宗の古刹で、『安産・子育て」の観音様として古くから知られている。光明皇后が自らの安産祈願のために、法華経一巻を書写して奉納、無事に御子を出産したという歴史的な逸話も伝わり、皇室ゆかりの安産子育て祈願所でもある。美智子妃殿下(当時)の浩宮御出産の時は、住職が宮中へ参内したという。雨引観音の名は弘仁12年に常陸国が旱魃で苦しめられた時に嵯峨天皇が法華経を奉安したところ、その後三日間雨が降って大地が潤ったところから「雨引山」の山号になったという。寺は筑波連峰の端に位置し雨引山の中腹にある。山麓からの道を登って行くと黒門があり長い石段がある。登ると右手に鐘楼があり、その先に仁王門がある。さらに石段を登り境内に入ると正面に本堂、左に阿弥陀堂、多宝塔がある。御開帳されている本堂に入らせて頂くと何かの行事があるらしく若いお坊さん達が立ち振る舞いの練習をしている。御開帳されている御本尊の前に座ると柔らかな光に照らされた延命観世音菩薩様が優しくこちらを向いておられるのが見える。般若心経,観音経、ご真言を唱え終わると後ろから写真を撮っていいですよと声をかけられる。振り向くと優しい笑顔の観音様のような御住職でした。大変嬉しくありがたく感じました。
第20番西明寺は天平9年行基が開創した古刹で、行基が東国に霊地を求めて山に登ったところ、かつて行基が豊前国に安置したはずの十一面観音像が光明を放っているを見つけ、芳賀山益子寺と称したのが西明寺の前身となった。延暦年間には弘法大師が訪れており、この時大師に敵対した人々が大師を岩屋に押し込めようとしたところ、独鈷で難を逃れたことより、「独鈷山」と言う山号になった。山麓から登ると納経所があり、その先に県の天然記念物の森の中の石段を登ると珍しい茅葺き屋根の楼門があり、くぐると左手に三重塔、右手に笑い閻魔堂、正面に大きな本堂がある。天気も晴れて参拝者もあり、本堂前にて敷物を引いて読経を済ますと、時間も無いので早々と辞し、第17番満願寺に向かった。寺伝によると満願寺は天平神護元年に勝道上人により創建された。本尊の千手観音は弘法大師の作と伝えられている。山門をくぐると薬師堂、進むと信徒会館と本坊。右手に鐘楼がある。その先の本堂は日本三御堂の一つで三手先龍の彫刻で知られている。本堂に入ると、若い女性のグループが御祈願をしていて護摩焚きの最中だった。護摩が終わった後、読経を済ますと、お坊さんに女性達と共に導かれ、お守りをもらい本尊前まで行かせて頂いた。千手観音菩薩像は半眼でぐっとこちらを向いていて、こんなにも間近で見られる事が出来て大変ありがたい事でした。高原師も巡礼をしていると、このような良い事があると大変喜んでおられました。満願寺には奥の院もあるが、今回は参拝せずに巡礼を終えると、宇都宮駅前の店において高原師が日本人のDNAの話をされました。日本人は(沖縄人,アイヌ人,縄文人を含む)特殊な遺伝子を持っており世界でも稀な古代血統で韓国人とは赤の他人だと言うことがわかったという話をされた。日本人は優秀な民族で戦争時もアメリカが驚いたとのこと。日本人のDNAがその様な純粋さを持っている事に事に驚きと共に、森羅万象、神仏を崇める日本人の感性にうなずける思いでした。
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