また九州に大地震が起こり多くの方々が犠牲になりました。繰り返し異常現象が起き、その都度数知れない人々が阿鼻叫喚地獄にのたうち回らねばならないのはなぜか。毎回神も仏もないのかと自問自答する日々です。
国土にかくも災害が続く原因を自分なりに考えた結論を先に述べると
・第一に、明治の神仏分離により二千年ちかく続いてきた神仏一体の信仰が日本列島の上で強制的に分離させられたままになって神々にお経を奉納することがなくなっていること。
・第二に、国民の不徳の集積、とおもいます。しかし犠牲になっている方々は、国民の不徳を教えるために国民にかわって苦を受けておられる代受苦の菩薩さまです。
経典にも災害の起こる都度、その理由を求めますが 経典には突き放すように「衆生の心が国土を清らかにする(安泰にする)」と書いてあります。維摩経には有名な『衆生浄きが故に国土清し』という句があります。不空三蔵訳「仏説大孔雀明王画像壇場儀軌」には「諸の世間に災禍逼悩刀兵飢饉亢旱疾疫四百四病憂悩闘争あり。及び八万四千の鬼魅ありて、有情を嬈悩し、求むるところの世間出世権の勝願に多く障害あるは、皆無始以来の貪愛無明虚妄分別の三毒ありて、実相を了せず、不善を積集するによる(世間に様々な災害兵乱旱魃闘争があり、人々の願いを妨げるのはのは人々の過去からの貪愛無明虚妄分別の積み上げにより鬼人が有情を悩乱するからである。)」つまり災害も戦争も我々の無始以来の積み重なる不善によるものだといっています。
栄西禅師の興禅護国論にも「仁王経に曰『佛、般若をもって現在、未来世の諸の小国王等に付属してもって護国の秘法とす』と。其の般若とは禅宗なり。謂く、『境内にもし持戒の人あればすなわち諸天その国を守護す』と云々。・・・楞厳経に曰『佛のいわく、阿難よこの四種の律儀を持して、皎たること氷霜の如く、一心に我が般若壇怛羅呪(大白傘蓋神呪)を誦せよ。・・・この娑婆界に八万四千の災変の悪星、二十八の大悪星あり。世に出現せんとき、能く災変を生せんも、この呪(大白傘蓋神呪)ある地は悉くみな消滅せん。十二由旬に結界の地となりて、諸悪災障永く入ることあたわず。』」と書いて、衆生が戒を守り「大白傘蓋神呪」を呪せば国土は安泰であるとしています。 性霊集を読み返すと、お大師様の「恵果和尚の碑」の中に「一たびは明らかに一たびは暗きこと天の常なり。」(明るいことがあれば暗いこともある即ち吉凶はあざなえる縄のごときものであることは天の道理である)とあったことや、「天長皇帝大極殿にして百僧を屈するあまごひの願文」に「・・・三綱(君臣、父子、夫婦の道)弛み紊れて、五常(仁義礼智臣)廃れ絶ゆるときは旱澇飢饉し邦國荒涼す。國十善をおこなひ、人五戒を修すれば、五穀豊登し、萬民安楽なり。」とありました。すなわち人々の行いが悪ければ自然災害がおこり、行いが治まってくれば国は安泰であるとあったのです。悪かったのはのは自然ではなく我が業とそれをひきおこしてきた我が心であったのです。毎回地震が起こるたびにこうして自分の過去を反省するのですがこれからは本気で自分の身心を治めていかなければいままでの被災者の方々に本当に申し訳ないと思った次第です。
国土にかくも災害が続く原因を自分なりに考えた結論を先に述べると
・第一に、明治の神仏分離により二千年ちかく続いてきた神仏一体の信仰が日本列島の上で強制的に分離させられたままになって神々にお経を奉納することがなくなっていること。
・第二に、国民の不徳の集積、とおもいます。しかし犠牲になっている方々は、国民の不徳を教えるために国民にかわって苦を受けておられる代受苦の菩薩さまです。
経典にも災害の起こる都度、その理由を求めますが 経典には突き放すように「衆生の心が国土を清らかにする(安泰にする)」と書いてあります。維摩経には有名な『衆生浄きが故に国土清し』という句があります。不空三蔵訳「仏説大孔雀明王画像壇場儀軌」には「諸の世間に災禍逼悩刀兵飢饉亢旱疾疫四百四病憂悩闘争あり。及び八万四千の鬼魅ありて、有情を嬈悩し、求むるところの世間出世権の勝願に多く障害あるは、皆無始以来の貪愛無明虚妄分別の三毒ありて、実相を了せず、不善を積集するによる(世間に様々な災害兵乱旱魃闘争があり、人々の願いを妨げるのはのは人々の過去からの貪愛無明虚妄分別の積み上げにより鬼人が有情を悩乱するからである。)」つまり災害も戦争も我々の無始以来の積み重なる不善によるものだといっています。
栄西禅師の興禅護国論にも「仁王経に曰『佛、般若をもって現在、未来世の諸の小国王等に付属してもって護国の秘法とす』と。其の般若とは禅宗なり。謂く、『境内にもし持戒の人あればすなわち諸天その国を守護す』と云々。・・・楞厳経に曰『佛のいわく、阿難よこの四種の律儀を持して、皎たること氷霜の如く、一心に我が般若壇怛羅呪(大白傘蓋神呪)を誦せよ。・・・この娑婆界に八万四千の災変の悪星、二十八の大悪星あり。世に出現せんとき、能く災変を生せんも、この呪(大白傘蓋神呪)ある地は悉くみな消滅せん。十二由旬に結界の地となりて、諸悪災障永く入ることあたわず。』」と書いて、衆生が戒を守り「大白傘蓋神呪」を呪せば国土は安泰であるとしています。 性霊集を読み返すと、お大師様の「恵果和尚の碑」の中に「一たびは明らかに一たびは暗きこと天の常なり。」(明るいことがあれば暗いこともある即ち吉凶はあざなえる縄のごときものであることは天の道理である)とあったことや、「天長皇帝大極殿にして百僧を屈するあまごひの願文」に「・・・三綱(君臣、父子、夫婦の道)弛み紊れて、五常(仁義礼智臣)廃れ絶ゆるときは旱澇飢饉し邦國荒涼す。國十善をおこなひ、人五戒を修すれば、五穀豊登し、萬民安楽なり。」とありました。すなわち人々の行いが悪ければ自然災害がおこり、行いが治まってくれば国は安泰であるとあったのです。悪かったのはのは自然ではなく我が業とそれをひきおこしてきた我が心であったのです。毎回地震が起こるたびにこうして自分の過去を反省するのですがこれからは本気で自分の身心を治めていかなければいままでの被災者の方々に本当に申し訳ないと思った次第です。