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今日は、熊本大地震の翌日で気もそぞろに護国寺にお参りに来ました。しかし山門には「都民大茶会」「入壇式」と大書されてあります。茶会と、護国寺の檀家となる法要が行われているのでしょう。
境内には八重桜が華やかに咲き誇っておりその下を茶会の出席者の和服のご婦人方が妍を競うが如く連れ立って歩いています。今までテレビで見ていた熊本の惨状とこの境内の華やかさとのギャップには眩暈をおぼえます。
そういえば5年前の東日本大震災の翌日も福聚講があり、横浜の野毛山不動尊にお参りし、被災者の安寧を願い御祈祷をお願いしたことを思い出します。
私はいつものように7度本堂と大師堂一言地蔵様を拝んで回りました。最初は被災者の事を拝もうと思っていたのですが、なぜかいつものように無心に拝んでしましました。Nさんも一言地蔵様などにお花を上げていらっしやいます。毎回このようにお花を飾っておられるので相当の功徳を積んでおられることになります。
入壇式法要の余香ののこる本堂で、いつものように開経偈・懺悔文・観音経・諸真言をあげ短い瞑想をしました。
今日は被災地の事が思われて複雑な一日でした。
方丈記は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」とはじまります。「人も住みかも久しくとどまりたるためしなし」とは災害多発列島に住む我々の姿をとらえている言葉としては名言です。しかしそうは割り切れないのが我々凡人の性です。犠牲者の方々の事を思うと「露の世は露の世ながらさりながら」という一茶の句がしみじみと思い起こされます。
地震についても長明は「恐れのなかに恐るべかりけるは、ただ地震(なゐ)なりけりとこそ覚えはべりしか。」と書いています。
引用します。
「また、同じころかとよ、おびただしく大地震(おほなゐ)ふることはべりき。そのさま、世の常ならず。山はくづれて河を埋(うづ)み、海は傾(かたぶ)きて陸地をひたせり。土裂けて水湧き出で、巌(いはほ)割れて谷にまろび入る。・・堂舎塔廟一つとして全からず。あるいはくづれ、あるいは倒れぬ。・・・恐れのなかに恐るべかりけるは、ただ地震(なゐ)なりけりとこそ覚えはべりしか。
かく、おびたたしくふることは、しばしにてやみにしかども、その余波(なごり)、しばしは絶えず。世の常驚くほどの地震、二、三十度ふらぬ日はなし。・・・おほかたその余波、三月(みつき)ばかりやはべりけむ。
四大種(地水火風空)のなかに、水・火・風は常に害をなせど、大地に至りては異なる変をなさず。昔、斉衡(さいかう)のころとか、大地震ふりて、東大寺の仏の御首(みくし)落ちなど、いみじきことどもはべりけれど、なほこの度にはしかずとぞ。すなはちは、人皆あぢきなきことを述べて、いささか心の濁りも薄らぐと見えしかど、月日重なり、年経にしのちは、言葉にかけて言ひ出づる人だになし。」
最後に、「人々は反省して、心の濁り(煩悩)も薄まるか、と思ったがいつのまにか忘れてしまっている」というところなど昔も今も同じと自分自身のことを含めて慨嘆させられます。
今日は、熊本大地震の翌日で気もそぞろに護国寺にお参りに来ました。しかし山門には「都民大茶会」「入壇式」と大書されてあります。茶会と、護国寺の檀家となる法要が行われているのでしょう。
境内には八重桜が華やかに咲き誇っておりその下を茶会の出席者の和服のご婦人方が妍を競うが如く連れ立って歩いています。今までテレビで見ていた熊本の惨状とこの境内の華やかさとのギャップには眩暈をおぼえます。
そういえば5年前の東日本大震災の翌日も福聚講があり、横浜の野毛山不動尊にお参りし、被災者の安寧を願い御祈祷をお願いしたことを思い出します。
私はいつものように7度本堂と大師堂一言地蔵様を拝んで回りました。最初は被災者の事を拝もうと思っていたのですが、なぜかいつものように無心に拝んでしましました。Nさんも一言地蔵様などにお花を上げていらっしやいます。毎回このようにお花を飾っておられるので相当の功徳を積んでおられることになります。
入壇式法要の余香ののこる本堂で、いつものように開経偈・懺悔文・観音経・諸真言をあげ短い瞑想をしました。
今日は被災地の事が思われて複雑な一日でした。
方丈記は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」とはじまります。「人も住みかも久しくとどまりたるためしなし」とは災害多発列島に住む我々の姿をとらえている言葉としては名言です。しかしそうは割り切れないのが我々凡人の性です。犠牲者の方々の事を思うと「露の世は露の世ながらさりながら」という一茶の句がしみじみと思い起こされます。
地震についても長明は「恐れのなかに恐るべかりけるは、ただ地震(なゐ)なりけりとこそ覚えはべりしか。」と書いています。
引用します。
「また、同じころかとよ、おびただしく大地震(おほなゐ)ふることはべりき。そのさま、世の常ならず。山はくづれて河を埋(うづ)み、海は傾(かたぶ)きて陸地をひたせり。土裂けて水湧き出で、巌(いはほ)割れて谷にまろび入る。・・堂舎塔廟一つとして全からず。あるいはくづれ、あるいは倒れぬ。・・・恐れのなかに恐るべかりけるは、ただ地震(なゐ)なりけりとこそ覚えはべりしか。
かく、おびたたしくふることは、しばしにてやみにしかども、その余波(なごり)、しばしは絶えず。世の常驚くほどの地震、二、三十度ふらぬ日はなし。・・・おほかたその余波、三月(みつき)ばかりやはべりけむ。
四大種(地水火風空)のなかに、水・火・風は常に害をなせど、大地に至りては異なる変をなさず。昔、斉衡(さいかう)のころとか、大地震ふりて、東大寺の仏の御首(みくし)落ちなど、いみじきことどもはべりけれど、なほこの度にはしかずとぞ。すなはちは、人皆あぢきなきことを述べて、いささか心の濁りも薄らぐと見えしかど、月日重なり、年経にしのちは、言葉にかけて言ひ出づる人だになし。」
最後に、「人々は反省して、心の濁り(煩悩)も薄まるか、と思ったがいつのまにか忘れてしまっている」というところなど昔も今も同じと自分自身のことを含めて慨嘆させられます。