福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験その134

2014-09-11 | 四国八十八所の霊験
平成17年には朝早く麓の遍路宿から84番屋島寺へのぼりました。急坂です。
しかし山の中腹からみる高松の町はすばらしい眺めでした。
5時過ぎから地元の人が三々五々のぼってきます。
 ここでも中年の男性に「今日1日で86番長尾寺までいくでしょうから後は楽ですよ」といわれました。
今度の「予言」は79番高照院の時以来2回目なので素直に聞きました。
 屋島寺では7時の納経時間前でしたが特別に納経してくれました。
鈴(れい)の音がするので覗くと大師堂で若い僧が修法していました。
 行の邪魔にならないよう大師堂では低い声でお勤めをしました。納経所の人に聞くと副住職で、いつも修法をされているとのことでした。しかし19年には納経所に聞くとこの方はもういらっしゃらないといわれました。修法していても運命の有為転変に翻弄されることもあるのだと思い知りました。

しかしいずれにせよ、毎朝お勤めをしている寺は栄え、寺容も整ってきていることは確かです。






19年夏は屋島のうえの宿に泊まりました。屋島の夕日はすばらしいものでした。屋島寺の納経所のお坊さんが屋島の上に泊まっても退屈ですよといってくれましたが退屈どころか素晴らしい景色に感動しました。一人でみるのは勿体ない気がしました。


旅館に帰ると突然「深信」ということばが浮かびました。深く仏様を信じることです。仮死状態で生まれたこと、高校のとき交通事故で自転車ごと空中に跳ね上げられてもかすりきずも付か無かったこと、寺を継がず上京しての無頼の生活も無事だったこと、その後の俗世の仕事もそれなりの結果を出せたことなど突然次々と昔のことがおもいだされてきました。それらがすべてお大師様のお蔭であると、夕日を見ながら筆舌に尽くし難い感謝の念がわいてきました。

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