福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

福聚講・第10回坂東33観音霊場巡礼の記録(2009/1/24)

2010-01-29 | 開催報告/巡礼記録
福聚講・第10回坂東33観音霊場巡礼の記録(2009/1/24)

今回の巡礼先は、第25番札所・筑波山大御堂(筑波山知足院中禅寺大御堂、文京区にある護国寺の別院)。集合は、つくばエクスプレスの終点・つくば駅改札口、9時50分。駅前のバス停から10時発の直通シャトルバスに乗車。筑波神社入り口にて下車(10時45分)。青空が広がり、一月にしては暖かい日和。朱塗りの大鳥居を抜け、「筑波山大御堂西参道入り口」の看板を左折、狭い坂道を登るとそこは大御堂(バス停より徒歩5分)。

筑波山大御堂は、寺伝によると延暦元年(782年)創立、開基は徳一法師。江戸時代には、徳川家の尊崇篤く寺領1,500石、十八支院、三百の僧坊があったという。明治初めの廃仏毀釈で筑波山神社と分離され、往時を偲ぶ伽藍は現在の筑波山大御堂にはなく、神社にある神橋や随身門が当時の面影を伝えている。
本尊の千手観世音菩薩は、板東霊場記によると「大御堂千手大悲の像は、両大権現の託宣によって、弘法大師の彫刻なり」という。
福聚講一行は、ご本尊の千手観世音菩薩へ般若心経二巻と観音経三巻を、本堂の脇で納経。冬の乾いた空気の中で読経の声が響く。時折冷たい風が身を浄めていくように通り抜けていった。
筑波山神社は、大御堂から直ぐの参道を上り詰めたところにあった(11時40
分)。社殿に上がりお祓いを受け、玉串を奉納し参拝。

筑波山(877m)は、男体山・女体山の二峰からなる関東の名峰。男体山は、明治の初めまでは千手観音(伊奘諾尊)、女体山は十一面観音(伊奘冊尊)を本地仏とする大権現として尊崇されていたとのこと。このお山へ、ケーブルカーに乗り僅か8分、頂上駅に着く。男体山頂上へは、岩の多い歩きづらい山道を登り、凡そ15分、伊奘諾尊が祀られている男体山御本殿に着く(12時45分)。般若心経を一巻納経。
頂上からの眺めは予想以上だった。薄紙のような靄が遠くの景色を幻想的に見せ、柔らかな浄土の寂光のような陽に照らされた枯れ木立は、既に春の色をその枝に見せていた。

同じ路を頂上駅まで戻り、展望レストランで昼食(13時15分)。この間に、一行の内、講元を含む3人は、女体山頂上まで往復。14時のケーブルカーにて下山。14時40分のシャトルバスに乗車、15時20分つくば駅着。「庄屋」にて懇親会、解散。

<参加者> 高原講元、高橋、岡村、鈴木、細田、志々田、菊池、有薗夫妻、米田夫妻、伴夫妻、関口夫妻の15名。
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