覚った眼から見れば『運勢』などということを問題にするのはそもそも自他の区別に憑りつかれ『我』に憑りつかれている、迷いの真っ只中にいる愚者のいうことですが、「浜までは海女も蓑着る時雨かな」という句もあります。いくら自他平等といってみても、「苦しみ」の真っ只中にいるときは、「どうして自分の運勢はこうも悪いのか」と嘆くのも人情です。運命論、運勢論の仏教・密教からみた全体像はおいおいかいていきますがとりあえず、
1,量子力学・華厳経からみた運命論(過去も未来も現在で変えられる)と
2,安岡正篤師著本のエッセンス(運命は極善には敵わない)を書いておきます。
1,量子力学では過去は変えられるとしますし、
・華厳経でも「過去現在未来は入り組んでいる」とします。
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2,安岡正篤『東洋倫理概論』より「・・列子「力命」に力と命との問答がある。「彭祖の智は堯舜の上には出ないが寿は八百、顔淵の才は衆人の下に出るわけではないが壽は四十八、仲尼の徳は諸侯の下に出るわけではないが陳蔡の困窮し、殷紂の行は三仁(箕子・比干・微子)のうえに出るのではないが、君位に居り、季札ほどの賢者が呉に爵もないのに、田恒のような悪者が斉國を専有し、伯夷叔斉は首陽で餓死したが、李氏は展禽よりも富裕だった。こんなことがなんでもおまえ(力のこと)の力次第ならなぜ彼を寿にし、此れを夭し、聖を窮施させ、逆を達し、賢を賤しくして愚を貧しくして悪を富ますのか。命といふからには命だ。なにもどうするとこうするといふ様なものは在りやしない。・・おのずから寿、おのずから夭、おのずから窮、おのずから達、おのずから賤、おのずから貴、おのずから富、おのずから貧、どうしてどうして俺の知ったことではないさ。」作者は明らかに「命」が一箇特別な神、所謂司命の作用ではないことを説いている。つまり「命」は「機已むを容さざる自然の流行」であり、「然る所以を知らずして然る」ものである。命なりといえばそれが必然にして且つ十分なことなのである。宇宙人生は造化の機境に他ならない。造化は絶対自慊であって他の何物をも待たない。真に自ずから雲、自ずから水、自ずから鳥、自ずから獣、自ずから男、自ずから女、自ずから寿、自ずから夭、自ずから貧、自ずから富で、それを何故とか、何の作用とかいふのは人間の思惟にほかならない。故に命を知るものには寿夭も窮達も貴賤も貧富も自然である。
袁了凡の四訓の中に「孔という易者が一生を占ってそのとおりになっていたが雲谷禅師が『極善の人には運命もかなわぬ。極悪の人間も運命はこれをどうすることもできぬ。易者のいうとおりになっていたのでは極善でも極悪でもない凡夫である。』といった。禅師は「今から自己を改めて徳を積み、和を湛え、精を惜しみ、忿を懲らし、従前の種々のお前は既に死んだ。向後の種々のお前は今日ここに生まれたようにしなさい。これぞ義理再生の身である。・・・積善の家必ず余慶あり、積不善の家必ず余殃あり。・・」
了凡はこのときから仏前に懺悔して善行につとめ天地の恩、祖宗の徳にむくい積極的生活に終始したところ、できないと言われていた子もでき、死ぬと言われていた53を過ぎて68になってなおこの文をつくっている。(了凡四訓)・・人々には命があると同時に『命はわれより作す』のである。・・」
安岡は、袁了凡の「四訓」から『極善』を貫けば「運命」を超えられるとしているのです。
よくこれだけ拝んでいいことをしているのにすこしも状況が改善しないと追う人がいます。こういうときはこの「極善」をおもいだすべきでしょう。
では、苦しみの運命から抜け脱すために『極善』を行じるとしてどうすればいいのでしょうか?密教はその答えを持っていますがそれはおいおい書いていきますが、とりあえずは『衆生無辺誓願度』を念じることに尽きると思われます。つねにこの言葉を念じておればだんだん思想も行動も利他的になりそれにつれて自己の運勢などどうでもよくなってきます。そうするとほっておいても運勢は好転します。そもそも「運勢」などと云う言葉自体が意味をなさなくなるのです。