何回目かの遍路の時、石手寺の門のところで蓬髪破衣大きな荷を背負ったの中年遍路に出会いました。「何回くらいおまわりですか?」と尋ねると「15回くらいです」としっかりしたよく通る声で返事がかえってきました。少し喜捨しました。「すごい回数歩いておられてすばらしいですね」というと澄んだ声で「あなたさまこそ」と言われました。「貴方様」などといわれたのははじめてですがこのひとがいうと自然に聞こえました。蓬髪破衣の外観とは反対に、仕草や言葉使いからはなんともいえない気品を感じました。納経所の人達もこの人を何度も見かけており、一目置いているのでしょう「お気をつけて」と次々に言葉をかけていました。
禅僧には清貧に甘んじた修行僧が多くおられたようです。
唐の寒山・拾得の話は、森鴎外・坪内逍遥等も書いていて有名です。鴎外『寒山拾得』では「(拾得は)厨で僧どもの食器を洗わせております・・寒山でございますか、これは拾得が食器を滌いますとき、残っている飯や菜を竹の筒に入れて取っておきますと、寒山はそれをもらいに参るのでございます・・」とあります。しかしこの二人は実は文殊菩薩様と普賢菩薩様なのでした。
日本では江戸時代の高僧・乞食桃水の話も有名です。桃水は悟ったのち乞食の群れに身を投じ、死人の残したお粥を飲んだといいます。 「中隠」という 白居易の詩があります。「大隠は朝市に住み、小隠は丘樊に入る、丘樊は太だ冷落、朝市は太だ囂諠ごうけん、如かず 中隠と作なりて、隠れて留司りゅうしの官に在るに、出ずるに似て復また処おるに似る、忙ぼうに非あらずして復た閑かんに非ず」というものですが、「大隠」は市に居るようです。
古代ギリシャの哲学者デイオゲネスも樽のなかで生活をし、アレクサンドロス大王が希望を聞くと、「あなたが日陰になるからどいてください」とだけ言ったといいます。四国の遍路道にはおおくの寒山・拾得やデオゲネスや桃水のような人がいます。本来遍路は乞食して廻るのが修行と定められていたのですから当然です。わたしも数十年前に四度加行等をおえて、初めて僧侶になった時は頑張って徳島一国を乞食遍路して歩いたことがあります。一日に七軒の家で般若心経を唱えお接待を頂くのです。しかし当時でもなかなかお接待はしていただけませんでした。いまはもっと接待も少なくなり、しかも托鉢を門前ですることは霊場会で禁じられていると以前薬王寺の前に立っている托鉢遍路にききました。代受苦の菩薩でもあり、本物の遍路かもしれないこういう人々を疎外するようになっては八十八所も将来信仰の基盤をうしなうことになります。
托鉢する人が疎外されるのではなく、さしたる積徳もなくして浪費三昧に日を送っている我々こそ恥じ入るべきなのです。我々は遍路するときもお金にあかせて宿に泊まり乗用車に乗ったりしています。信仰の世界までお金が付いて回るようになっています。
中央では、経済人なるものが政府の審議会を独占し、経済官庁といわれる官庁が徘徊し、マスコミは毎日経済の記事ばかりです。そして、国民一人一人は、資産をいくら持っているかだけで存在価値を判断されるという、浅ましい世の中になってしまいました。
ノーベル経済学者アマルチア・センはこういう傾向を見越して数十年前にすでに「経済人は社会的には愚者である。」と喝破しています。実感します。経済合理性のみに振り回されて生きてきた人こそ愚者中の愚者なのではないかと、永年こういう人達を身近に見た経験でつくずく思わされます。こういう拝金主義者たちを見ていると、「じつは人間をホモ・スツルチッシムス(超愚人)とよびたいところだが、そこはすこしおだやかに、最上級の形容詞はやめて、ホモ・スツルツス(愚かなる人)となずけることで満足しよう。(リシェ『人間―愚かなるもの』)」という言葉を思い出させます。いままで出会った経済人で是はと思わせる人は残念ながらゼロに等しいのです。「経世済民」の意味を忘れて市場原理主義・拝金主義に陥っている国はその基礎を蝕まれて早晩亡びざるを得なくなります。しかし日本を亡ぼしてはなりません。それには相当深いところから日本人を再度造り直していかねばならないでしょう。
禅僧には清貧に甘んじた修行僧が多くおられたようです。
唐の寒山・拾得の話は、森鴎外・坪内逍遥等も書いていて有名です。鴎外『寒山拾得』では「(拾得は)厨で僧どもの食器を洗わせております・・寒山でございますか、これは拾得が食器を滌いますとき、残っている飯や菜を竹の筒に入れて取っておきますと、寒山はそれをもらいに参るのでございます・・」とあります。しかしこの二人は実は文殊菩薩様と普賢菩薩様なのでした。
日本では江戸時代の高僧・乞食桃水の話も有名です。桃水は悟ったのち乞食の群れに身を投じ、死人の残したお粥を飲んだといいます。 「中隠」という 白居易の詩があります。「大隠は朝市に住み、小隠は丘樊に入る、丘樊は太だ冷落、朝市は太だ囂諠ごうけん、如かず 中隠と作なりて、隠れて留司りゅうしの官に在るに、出ずるに似て復また処おるに似る、忙ぼうに非あらずして復た閑かんに非ず」というものですが、「大隠」は市に居るようです。
古代ギリシャの哲学者デイオゲネスも樽のなかで生活をし、アレクサンドロス大王が希望を聞くと、「あなたが日陰になるからどいてください」とだけ言ったといいます。四国の遍路道にはおおくの寒山・拾得やデオゲネスや桃水のような人がいます。本来遍路は乞食して廻るのが修行と定められていたのですから当然です。わたしも数十年前に四度加行等をおえて、初めて僧侶になった時は頑張って徳島一国を乞食遍路して歩いたことがあります。一日に七軒の家で般若心経を唱えお接待を頂くのです。しかし当時でもなかなかお接待はしていただけませんでした。いまはもっと接待も少なくなり、しかも托鉢を門前ですることは霊場会で禁じられていると以前薬王寺の前に立っている托鉢遍路にききました。代受苦の菩薩でもあり、本物の遍路かもしれないこういう人々を疎外するようになっては八十八所も将来信仰の基盤をうしなうことになります。
托鉢する人が疎外されるのではなく、さしたる積徳もなくして浪費三昧に日を送っている我々こそ恥じ入るべきなのです。我々は遍路するときもお金にあかせて宿に泊まり乗用車に乗ったりしています。信仰の世界までお金が付いて回るようになっています。
中央では、経済人なるものが政府の審議会を独占し、経済官庁といわれる官庁が徘徊し、マスコミは毎日経済の記事ばかりです。そして、国民一人一人は、資産をいくら持っているかだけで存在価値を判断されるという、浅ましい世の中になってしまいました。
ノーベル経済学者アマルチア・センはこういう傾向を見越して数十年前にすでに「経済人は社会的には愚者である。」と喝破しています。実感します。経済合理性のみに振り回されて生きてきた人こそ愚者中の愚者なのではないかと、永年こういう人達を身近に見た経験でつくずく思わされます。こういう拝金主義者たちを見ていると、「じつは人間をホモ・スツルチッシムス(超愚人)とよびたいところだが、そこはすこしおだやかに、最上級の形容詞はやめて、ホモ・スツルツス(愚かなる人)となずけることで満足しよう。(リシェ『人間―愚かなるもの』)」という言葉を思い出させます。いままで出会った経済人で是はと思わせる人は残念ながらゼロに等しいのです。「経世済民」の意味を忘れて市場原理主義・拝金主義に陥っている国はその基礎を蝕まれて早晩亡びざるを得なくなります。しかし日本を亡ぼしてはなりません。それには相当深いところから日本人を再度造り直していかねばならないでしょう。