福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

Q,「八王子」の由来?

2015-04-10 | Q&A
Q,八王子の由来?


A,
1、 結論として「八王子」には仏教(法華経)、神道(日本書紀等)それぞれからの由来がありますがその後、佛教、神道、陰陽道が習合して様々なお姿・本地を示しておられ、これが八王子の神様ですという特定はできない、ということです。

2、 まず、望月佛教大辞典には「法華経にいうように、八王子とは日月灯明佛の八人の王子のことである」、とします。しかしこれは特にこのあと日本の諸々の「八王子」とつながりは出てきません。「八王子・・梵語astau rajakumarahの訳。八人の王子の意。即ち過去の日月灯明佛が未だ出家せざりしときの八人の王子をいふ。一に有意mati、二に善意sumati三に無量ananta-mati、四に寶意ratna-mati、五に増意visesa-mati、六に除疑意vinmati七に響意ghosa-mati、八に法意dharuma-matiなり。法華経第一初品に『過去無量劫に仏あり、日月灯明佛と号す。声聞を求める者の為に四諦の法を説き、辟支仏を求める者の為に十二因縁の法を説き、菩薩の為に六度の法を説きて阿耨菩提を得せしむ。次に復同じく日月灯明佛と名つ゛くる二万の佛相次いで出世し、その最後の日月灯明佛いまだ出家せざりしとき八王子あり、威徳自在にして各々天下を領す。父出家して正覚を成じたるを聞き悉く亦王位を捨てて出家し、千万佛の処に於いて善本を植え、後日月灯明佛滅する夜、文殊菩薩の前身なる妙光菩薩に随って仏道を学し、復た無量百千萬億の佛を供養して皆共に成仏せり。その最後に成道せる王子を燃灯と名く』といへる即ちその説なり。この中第八王子の燃燈佛は過去九十一劫に出現し、釈尊授記の師佛として広く諸経に散説せられたる所なり。彼の比叡山山王七社の一なる八王子は天照大神の五男三女を奉祀すると伝へらるるも、或は今の八王子と関係あるに非ざるやと思はしむるもの有。又法華経文句第三上、法華義疏第二(聖徳太子)延暦寺護国縁起巻上、山家最略記等(注)に出ず。」
(注、『山家最略記』には「・・八王子大明神垂迹の事、匡房宣奉勅進官神祇宣令文に曰く『八王子天神・國狭槌尊(くにさつちのみこと)、人皇第十代崇神天皇即位元年近江國滋賀郡小比叡東山金大巌(こがねのおおいわ、注)傍に天降る、八人皇子ひきつれ天降ります。故に八王子という。』(注、金大巌は「歓喜天霊石八王子権現、此の大岩へ天降り玉ふ水徳の神にしてまします。故に相生の理を以て金の大岩と名く」(日吉神社秘密社参要録)とあるように、日吉大社の元となる滋賀郡の聖地。注終わり)・・・天照大神生ずるところの八王子即日吉八王子の事、神祇令に曰く『八王子と言うは天照大神のなせる、五男三女(いをみめ)等や八王子なり。父祖上帝に類し、六宗にまつりし久しき代より天恩きたり帰り、八十萬神を率領(やをよろずのかみをしたがへ)八王子に降ります、故に八王子といふ。』」とあります。)

3、神道大辞典には「八王子・・1、天照大神、素戔嗚神と誓約したまひし時になりませる五男三女神(注。田心姫(たこりひめ)湍津姫(たぎつひめ)市杵嶋姫(いちきしまひめ)天忍穂耳命(あめのおしほほみ)天穂日命(あめのほひ)天津彦根命(あまつひこね)活津彦根命(いくつひこね)熊野櫲樟日命(くまのくすひ))を云ひ、2、また素戔嗚尊の八王子(注。八嶋士奴美神(やしまじぬみ)五十猛命(いそたける)大屋津姫命(おおやつひめ)大年神(おおとしのかみ)宇迦之御魂神(うかのみたま)大屋毘古神(おおやびこ)須勢理毘売命(すせりびめ)・・これらは八坂神社の御祭神でもある))をも云ふ。諸国の神社にもこの名称のものあれど、古来の由緒上何れの八王子社もかならずこの八神を併せ祀るとは限らない。」としています。

4、これらをうけて神道集には、「八王子とは牛頭天皇の眷属で普賢・文殊・観音・勢至・日光・月光・地蔵・龍樹菩薩の権化」とされます。「神道集巻第三「祇園大明神事、
そもそも祇園大明神は、世人は天王宮と申す。 即ち牛頭天王これなり。
牛頭天王は武答天神王等の部類の神なり。 天形星とも武答天神とも、牛頭天王とも崇る。
当世は盛に疫病神為る事有る故に、牛頭天王等をは深く人信仰する処なり。 故に世間皆社を立て、御殿を造り、本地垂迹図信仰し、祇園大明神とは云ふなり。
御本地の男体は薬師如来、女体は十一面と云ふ。 殊にこの土の衆生を哀み利益したまへり。
・・・・・
およそ牛頭天王は、三百四十二臂なり。 頂上に牛頭有り。 右手には鉾を把り、左手には施無畏印を結ぶ。
数多の従神圍繞り、東王父・西王母・波利釆女(妻)・八王子等なり。 本師薬師如来・十二神将・普賢経・牛頭天王経・波利釆女経・八王子経等は、竹林精舎の説なり。
その時の衆会は大比丘衆八万人、菩薩衆は三万人なり。 その中に文殊を上首とせり。 その時文殊は由を釈尊に問ふ。
経に云ふ。 仏文殊師利法王子に告て言く。 此会の中に一の菩薩在り。 名を牛頭天王菩薩と云ふ。 また武答天神菩薩と名づく。 また薬宝賢菩薩と名づく。
しかるにこの菩薩は無量劫より、大慈大悲の心を以て成就して、諸の衆生の為に安穏を得さしむ云々。
仏文殊利師に告ぐ。 即ちこの天王は薬師如来の応現なり。 左面は日光菩薩、右面は月光菩薩、頂上牛頭は妙法蓮花経なり。
両臂は十二神将、また十二大願の意なり。
左足は東方浄瑠璃世界、右足は西方極楽世界。
東王父神は普賢菩薩、西王母神は虚空蔵菩薩、波利采女(牛頭天王后)は十一面観音なり。
この天王左手に鉾を取りたまふは、悪魔降伏の相なり。
右手に施無畏を結ぶは、一切衆生の所念成就得脱安穏の相なり。
蘇民将来及び粟佐利女は、本地は薬王・薬上の二菩薩なり。
蛇毒気神及び海龍王は、また本地は弥勒・龍樹の二菩薩なり。
・・・
問ふ、八王子、本地の相は如何。
答ふ、この王子は皆悉く金剛離宝の甲冑を着て、あるいは常に牛頭天王は諸法の願に御座す。 あるいは武答天神に随逐する。 ある時は牛頭武答の行化を助け、ある時は太歳八神として苦楽の吉凶を行ふ。
その本地は皆異説有り。 この説、八王子は、即ち大聖文殊これなり。 ある所は、八王子は、即ち八部菩薩これなり。
義浄三蔵の訳す所の、秘密心点如意蔵王咒経(注、偽経)にも云へり。 ある所には、武答天神王経(注、偽経)とも云へり。
また次に八王子の真言に曰く。 「普賢・文殊・観音・勢至・日光・月光・地蔵・龍樹、唵阿彼耶云々」、
問ふ、八王子の名言如何。 所々に不同なり。 皆相違有り。 今は武答天神経に付てこれを写す。
第一の王子は星接と名づく。 また太歳神と名づく。 また相光天王と名づく。 本地は普賢菩薩なり。
第二の王子は唵恋と名づく。 また大将軍と名づく。 また魔王天王と名づく。 本地は文殊師利菩薩なり。
第三の王子は勝宝宿と名づく。 また歳刑神と名づく。 また徳達神天王と名づく。 本地は観世音菩薩なり。
第四の王子は半集と名づく。 また歳破神と名づく。 また達尼漢天王と名づく。 本地は勢至菩薩なり。
第五の王子は解脱と名づく。 また歳殺神と名づく。 また良侍天王と名づく。 本地は日光菩薩なり。
第六の王子は強勝と名づく。 また黄幡神と名づく。 また侍神相天王と名づく。 本地は月光菩薩なり。
第七の王子は源宿と名づく。 また豹尾神と名づく。 また宅相神天王と名づく。 本地は地蔵菩薩なり。
第八の王子は結毘と名づく。 また大陰神と名づく。 また倶摩良天王と名づく。 本地は龍樹菩薩なり。 」

4、 その他、陰陽道系統の諸説。
・「祇園牛頭天王縁起」「それ大聖が物を救ふは、月の万水に沈むが如し。 神明の感に赴くは、雲の太虚に覆ふに似たり。 ここに本誓浄瑠璃界の教主、十二大願を発し、牛頭天王と垂跡したまふ。[中略]第一は相光天王と名づく。 本地は釈迦如来。 太歳神に変化し、春三月を行ふ役神なり。第二王子は魔王天王と名づく。 本地は文殊師利菩薩。 大将軍に変じて、四方を司る。 相ひ遶ること三年なり。
第三王子は倶魔羅天王と名づく。 本地は弥勒菩薩。 歳徳神に変じて、秋三月を行ふ。
第四王子は徳達天王と名づく。 本地は観世音菩薩。 歳末神に変じて、冬三月を行ふ。
第五王子は羅侍天王と名づく。 本地は薬師如来なり。 黄旛に変じて、平満成収等の十二支を司る。第六王子は達尼漢天王と名づく。 伏神に変じて、八専を行ふ。 本地は普賢菩薩。第七王子は侍神相天王と名づく。 豹尾に変じて、四季土用、各々十八日を行ふ。 本地は阿弥陀如来なり。第八王子は宅相神才天王と名づく。 大隠神に変じて、夏三月を行ふ役神なり。 本地は地蔵菩薩。

・「三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集」巻第一
「つらつらおもんみるに、天地開闢して、陰陽起り興れり。 自然にして、諸万国に開き起り。 時に、北天竺摩訶陀国、霊鷲山の丑寅、波尸城の西に、吉祥天の源、王舍城の大王を名づけて、商貴帝と号す。 むかし、帝釈天に仕へ、善現に居す。 三界に遊戯す。 諸星の探題を蒙りて、名づけて天刑星と号す。 信敬の志深きに依りて、今、娑婆世界に下生して、改めて牛頭天王と号す。 元は是、毘盧遮那如来の化身なり。
[中略]
第一太歳神は総光天王、本地は薬師如来。 この方に向き造作に大吉、敢て木を栽らず。
第二大将軍は魔王天王、本地は他化自在天。 この方に向き万事凶、故に世人三年塞がりと号すなり。
第三大陰神は倶摩羅天王、本地は聖観自在尊。 この方に向き万事凶、殊に嫁取結婚等は凶。
第四歳刑神は得達神天王、本地は堅牢地神。 この方に向き犯土は凶、兵具を収むるは大吉。
第五歳破神は良侍天王、本地は河伯大水神。 この方に向き海河を渡るべからず、造作すなはち牛馬死す。
第六歳殺神は侍神相天王、本地は大威徳。 この方に向き弓箭を取るべからず、嫁取結婚等は凶。
第七黄幡神は宅相天王、本地は摩利支尊天。 この方に向き開軍陣幡は吉、財宝を収るは尤も凶。
第八豹尾神は蛇毒気神、本地は三宝大荒神。 この方に向き大小便は凶、六畜を収むは宜からず。

5、平家物語『願立』には比叡山根本中堂の前に僧たちが遺恨のある関白師道を『後一条の関白殿に鏑矢一つはなちあて給へ、大八王子権現』と祈誓すると関白の御所に樒一枝が立っていて、関白は3年をまたずして死んだ、と書かれています。この場合の八王子権現は山王七社権現(二宮小比叡、大宮権現、聖真子、三宮、八王子、客人権現、十禅師)の一つです。この八王子社は大津市八王子山頂にあって千手観世音菩薩が本地とされます。

6、東京八王子は、八王子市宗閑寺に伝わる『華厳菩薩記』にある記録に、延喜16年(916)華厳菩薩妙行の夢の中に牛頭天王が現れ、八人の王子(将神)をこの地に祭ることを託され華厳菩薩妙行はこれを八王子権現と名付けて祀っりこれが八王子の名前となったということです。
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