福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

秩父三十四所観音霊験圓通傳 秩父沙門圓宗編・・3/34

2023-10-03 | 諸経

 

第三番いはもと 岩本山常泉寺。本尊聖観音、立像御長二尺六寸、行基菩薩御作

當寺の本尊は、𦾔此地より北の方、矢作地邑と云處に、暫く安置し奉りき。何の世誰の開基と云事も確かなる説なし。其地や懸崖絶壁、天の與ふる幽閑、地の授くる靈勝、朝日の瀑布、夕日の瀧、横瀧など云へる勝景、さながら一片の畫圖の如し。俗境を離るる事數里、一度此地に遊歴すれば忽ち世縁の束縛を解きて、頓に塵外の想を生ず。此の境の勝景、道の記に詳なり。今爰に畧。此地に本尊を安置し奉りし時、近きあたりに矢作邑と云處あり。是當時岩本寺の境地なり。往古より此處に行基菩薩彫刻の十王の像(秦広王、初江王、宋帝王、五官王、閻羅王、変成王、太山王、平等王、都市王、五導転輪王)を安置せり。今の札堂なり。南の方に二町許りへだてて、一院あり。奥院と称す。愛宕山大権現を勧請す。亦側に岩窟あり。洞中に地蔵菩薩を安置せり。靈泉あり、長命水と號す。亦不睡石、子持石など云へる怪岩奇石あって尋常ならぬ霊地なり。一日其姿凡人ならず見へし巡禮の客、同行十人あまりにて此處に来て十王堂に通夜して誦経の聲里人の心耳を清し、随喜せし折から、岩本の御堂の方より數千の征矢(そや・戦場で使う矢)を射るが如き光明輝き来て此地を照す。里人大に驚き群衆して此地を見るに、件の順禮もいずち行けん跡もなく、矢作地邑の安置奉りし靈像厳然として坐す。村老野翁大に驚き、矢作地邑の院主も来て、各相議して、彼地の御堂を引移して永く當所に安置し奉る。矢行地矢作の地名も、此時より起れりと、此地の古老の傳へ云處、年暦いまだ詳かならず。境内の靈石不睡石は、眼病を祈るに必ず験あり。亦此石に向て祈れば、能く眠を除く。故に不睡の名あり。子持石と云は、嗣子なき人祈れば、其の應ありて福徳智慧の子を生ず。是圓通大士大悲心中の實際より流出する處、凡人の得て思議すべからざる所なり。又長命水と號する泉は、當院の住侶難治の症を憂しとき、本尊の告げに依て庭前の泉を以て湯薬を調へ服して其病頓に癒たり。是より以来里人必ず此水にて薬を服すに、治せずと云事なし。之に依り長壽の名あり。詠歌に曰く、

「補陀落は岩本寺と拝むべし 峯の松風ひびく滝津瀬」

詠歌の意を考るに、𦾔の矢作地の御堂にましませし時、詠歌ぜし歌なるべし。朝日夕日の飛泉の音も、皆是廣長舌の御聲なりと(「渓声は便ち是れ広長舌、山色豈に清浄身に非らざらんや」『碧巌録』第三十七則)。其音聲を観じて補陀落山遠にあらず、則ち此岩本寺と観じて、世間の音に勝れたる峯の松風、瀧の音をあだに聞ぞと、教へたる最勝れたる意ばへなれなば、随喜して其大意を註す。

 

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