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84番屋島寺と86番志度寺は平家物語の世界と遍路道が重なっています。与謝野晶子は
「平家ゆえ名のあはれなるここちして遍路と入りし屋島寺かな」
とよみました。屋島寺の「獅子の岩屋」の仕切りの鉄板に鉄幹と連名で句が書いてありました。
屋島寺の裏には合戦の刀を洗ったという「血の池」もあります。 19年夏の朝はこの池では5時ごろまだ暗いなか蝦蟇が何匹も野太い声で不気味にないていました。まるで平家の武将の声のようでした。さらにいくと屋島の東端にでます。ここから壇ノ浦を隔てて五剣山がみえます。朝霞の高松平野の上に、屋島と五剣山だけが高く聳えていました。
五剣山と屋島の作る立体パノラマの間を五剣山中腹の八栗寺まで歴史に彩られた古い遍路道が結びます。瓦礫を何層にも枯葉が覆って続く急坂です。ここでも風化した遍路墓が多く立っています。
遍路道のうえで源平の合戦が繰り広げられ、またその上に遍路墓がたてられています。死者は何層にもわたって葬られています。
相応部経典では自分の墓のため人の骨の埋まってないところをさがしあてたというバラモンにお釈迦様は「無始以来輪廻を続けている有情の骨は地上のあらゆるところにある。(バラモンが見つけた土地も)過去に500回もあなたが埋められていたところだ」といいます。
「平家ゆえ名のあはれなるここちして遍路と入りし屋島寺かな」
とよみました。屋島寺の「獅子の岩屋」の仕切りの鉄板に鉄幹と連名で句が書いてありました。
屋島寺の裏には合戦の刀を洗ったという「血の池」もあります。 19年夏の朝はこの池では5時ごろまだ暗いなか蝦蟇が何匹も野太い声で不気味にないていました。まるで平家の武将の声のようでした。さらにいくと屋島の東端にでます。ここから壇ノ浦を隔てて五剣山がみえます。朝霞の高松平野の上に、屋島と五剣山だけが高く聳えていました。
五剣山と屋島の作る立体パノラマの間を五剣山中腹の八栗寺まで歴史に彩られた古い遍路道が結びます。瓦礫を何層にも枯葉が覆って続く急坂です。ここでも風化した遍路墓が多く立っています。
遍路道のうえで源平の合戦が繰り広げられ、またその上に遍路墓がたてられています。死者は何層にもわたって葬られています。
相応部経典では自分の墓のため人の骨の埋まってないところをさがしあてたというバラモンにお釈迦様は「無始以来輪廻を続けている有情の骨は地上のあらゆるところにある。(バラモンが見つけた土地も)過去に500回もあなたが埋められていたところだ」といいます。