今日は観音様の日です。以下の結論は、「一心に」「南無観世音菩薩」もしくは「おんあろりきゃそわか」等とお唱えすれば「定業」すら転じてくださるという事です。
1、「定業」を転じてくださるかどうかというのは古来問題でした。
「法華義疏・吉蔵」では一見「定業」は無理のように書いてあります。
「問ふ、稱名(南無観世音菩薩と唱えること)は何が故に苦を脱するもの・脱せないものあるや。
答ふ、一意如上。至心・不至心あるが故に脱・不脱あり。
二は脱するに利益有らば是れ則ち之を救ひ、脱するに利益なきが故に之を救はず。
三は觀音との結縁の厚薄ありてなり。薄きは善少きが故に不脱。厚きは善多きがゆえに得脱す。
四は衆生業に定(業)・不定(業)あるなり。不定(業)は救ふべく、定(業)は救ふべからず。定業とは一の重き心に作し已って心無慚愧。二は覆藏す。三は作り已って更に作す。四は起願扶之。故に決定は報を得る。救ふべからざる也。
問ふ、若し救ふべからざるならば應に稱名は無利益なるや。
答ふ、今、無益なりと雖も後世の因となる。」
2、しかし実際は至心に懺悔すると共に、「因」すら「空」であると観想すれば定業も転ずると別の所で書いています。即ち同じ「法華義疏」の「勧発品」に
「問ふ、修するとは何の法ぞや。答ふ、今普賢法に依れば端坐思惟第一義、甚深空法、此の六根は如幻如夢、因縁より生じ、因縁生即ち寂滅相、寂滅相即ち是実相、実相即是法身と達す。この観の時、念念十方仏身及び普賢菩薩、一弾指の頃に能く百万阿僧祇劫の生死の罪を滅す。」
3、何よりも現実に私も生家の十一面観音様のお陰で今日まで様々な危機を乗り越えて無事でこられたわけですし、この福聚講も護国寺の如意輪観音様のおかげで筆舌に尽くせないお陰を頂いてきています。
いままでも観音様の霊験を出してきましたが思いつくものを引用しておきます。
観音様の霊験
観音様に助けられた話
「観音の霊験」中根環堂
「坂東霊験記」にも無数の霊験が載っています。
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