福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「人生是公案」・・・コロナも?

2020-05-06 | 法話
平成二十七年九月二十七日、NHK教育テレビの 「こころの時代」で安永祖堂師(花園大学教授)の『人生是公案』という話がありました。(まさにコロナも全世界の人類に公案を与えているのでしょうか。

「・・・禅の世界には「現成公案」という言葉がございまして、禅の修行と言いましても、修行道場で坐禅を組んで、公案を解決するというのは、これは「畳の上の水練」と言いまして、要するに実際に海で泳ぐということではないです。その予行演習をしているようなものですよね。本当の修行は、世の中に出てからだ、と言われます。つまり現成公案、私たちが生きていく上で日々の生活、辛いこと、なかなか解決できないこと、次々から次へと起こってくるではないですか。それに立ち向かうそういうことなんでしょうね。だから私たちが生きていくというのは、実は公案の修行というものを日々重ねているものとまったく変わらないんじゃないかと思いますよ。お釈迦様は、人が生きるこの世界というのを「苦」とおっしゃいましたね。いわゆる「苦しみ」の「苦」と書きますけれども、苦の世界であると。この「苦」というのは、苦しみということよりも、もともとインドの古い言葉―サンスクリット語と言いますけれども、「ドゥッカ(dukkha)」というんだそうです。では、「ドゥッカ」というのはどういう意味ですかいうと、「満たされないこと」なんだそうですね。仏教というところの「苦」というのは、「満たされないこと」。故に私たちは常に常に満たされないでいるのかも知れません。そういう苦に溢れた人生というものを本当の自分として生きていく。それはまさに公案の修行とまったく変わらない。大変なことだけれども、一つひとつ解決していくところに価値があるんではないかと、私は考えています。 」

実際、凡人は一回の人生では公案一つすら解けないので、「生まれ変わり死に変わり」して「公案」を解かされることになるのでしょう。「人生とは自分が宇宙に存在しているということの謎である」とも大峰顕(大阪大学名誉教授、龍谷大学教授、浄土真宗教学研究所長)が喝破しています。
 

     
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