弘法大師の災害論・・・「秘蔵宝鑰」中巻より
「・・それ災禍の興りに略して三種あり。一には時運、二には天罰、三には業感なり。・時運とはいわゆる陽九百六なり。(一元(4560年)の間に陽厄(旱魃)が五度、陰厄(洪水)が四度おこる。この陽陰九度の厄を陽九という。黄帝のときから百六年目にはじめて陽九がおこったから百六という。)尭の水、湯の旱、これにあたれり。このゆえに聖帝震に出て機をみて逆備せり(伏義氏が東方(震)より出て易を創案に、災害を予測した)。減劫の五濁もこれにあたれり(住劫において、人間の寿命が、8万歳から、年々減じて、10歳になるまでの過程を減劫といい、減劫の世になると五濁がおこる。五濁とは、劫濁、煩悩濁、衆生濁、見濁、命濁)。・天罰とは教令理にそむくによって天すなわちこれを罰す。孝婦雨ふらさざりしの誅(漢書にある。孝婦が無実の罪で死刑にされたとき天帝の怒りで3年間旱魃が続いたこと)、忠臣霜を降らすの囚(淮南子にある。燕の忠臣が讒言により獄につながれたので盛夏に霜が降ったこと)、かくの如きの類これなり。
・業感とは悪業の衆生同じく悪時に生じて業感のゆえにかくのごときの災を招く。
かくのごときの論はつぶさには歴代の「五行志」等、および「守護国経」「王法正論経」等のごとし。・・」
「・・それ災禍の興りに略して三種あり。一には時運、二には天罰、三には業感なり。・時運とはいわゆる陽九百六なり。(一元(4560年)の間に陽厄(旱魃)が五度、陰厄(洪水)が四度おこる。この陽陰九度の厄を陽九という。黄帝のときから百六年目にはじめて陽九がおこったから百六という。)尭の水、湯の旱、これにあたれり。このゆえに聖帝震に出て機をみて逆備せり(伏義氏が東方(震)より出て易を創案に、災害を予測した)。減劫の五濁もこれにあたれり(住劫において、人間の寿命が、8万歳から、年々減じて、10歳になるまでの過程を減劫といい、減劫の世になると五濁がおこる。五濁とは、劫濁、煩悩濁、衆生濁、見濁、命濁)。・天罰とは教令理にそむくによって天すなわちこれを罰す。孝婦雨ふらさざりしの誅(漢書にある。孝婦が無実の罪で死刑にされたとき天帝の怒りで3年間旱魃が続いたこと)、忠臣霜を降らすの囚(淮南子にある。燕の忠臣が讒言により獄につながれたので盛夏に霜が降ったこと)、かくの如きの類これなり。
・業感とは悪業の衆生同じく悪時に生じて業感のゆえにかくのごときの災を招く。
かくのごときの論はつぶさには歴代の「五行志」等、および「守護国経」「王法正論経」等のごとし。・・」