福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

中論觀五陰品第四

2022-01-02 | 諸経

中論觀五陰品第四 (九偈)         

問曰、經に説かく、五陰(色(物質)、受(印象・感覚)、想(知覚・表象)、行(意志などの心作用)、識(心)の五つをいい、総じて有情の物質、精神の両面にわたる。因縁によって生ずる有為法をいう。心経には「五蘊皆空度一切苦厄」とあり)有りと。是事云何。答曰く

「若し色因を離るれば 色は則ち不可得なり。若し當さに色を離るれば 色因不可得なるべし」(第一偈)

色因とは布の縷に因るが如し。縷を除けば則ち布無し。布を除けば則ち縷無し。布は色の如く、縷は因の如し。問曰、若し色因を離れて色あらば何の過ありや。答曰、

 「色因を離れて色有らば 是の色は則ち無因なり。無因にして法有らば 是事則ち然らず。」(第二偈)(色因を離れて色があるというのは色は無因のものということになる。すると原因のないものがあることになる。)

縷を離れて布有らば布は則ち無因なるが如く無因にして法あることは世間に有ることなき所なり。問曰、佛法・外道法・世間法の中に皆な無因の法有り。佛法には三無爲(虚空無為,択滅無為,非択滅無為(縁がなくて現在化しなかった存在)の三つ)あり。無爲は常なるが故に無因なり。外道

法中に虚空・時・方・神・微塵・涅槃等あり。世間法には虚空・時・方等なり。是の三法は處として有らざることなきが故に名て常となす。常の故に無因なり。汝、何を以ってか無因の法は世間に無き所なりと説くや。答曰、此の無因の法は但だ言説を有するのみ(言葉の上だけ)。思惟分別せば則ち皆無なり。若し法が因縁によりて有らば應に無因と言ふべからず。若し無因縁ならば則ち我が

説の如し。問曰、二種の因あり。一は作因(実在の根拠)。二は言説因(認識の根拠)。是の無因の法は作因無し。但だ言説因のみありて人をして知らしむるが故に。

答曰、言説因ありと雖も是事然らず。虚空は六種中(中論・六種品)に破するが如く、餘事は後に當に破すべし。復次に現事すら尚ほ皆な破すべし。何ぞ況んや微塵等不可見の法をや。是故に説く、無因の法は世間に無き所なり、と。問曰、若し色を離れて因あらば何の過ありや。答曰、

「若し色を離れて因あらば 則ち是れ無果の因なり。若し無果の因を言はば 則ち是の處あることなし」(第三偈)

若し色の果を除きて但だ色因あらば即ち是れ無果の因なり。問曰、若し無果にして因あらば何の咎ありや。答曰、無果にして因あること世間に無き所なり。何以故。果を以ての故に名けて因と為す。若し無果ならば云何んが因と名けん。復次に若し因中に果無くば物は何を以ってか非因より生ぜざる。是事、破因縁品中(中論観因縁品第一)に説けるが如し。是故に無果の因はあることなし。復次に、

「若し已に色あらば則ち色の因を用ひず。若し色あること無くも 亦た色の因を用ゐず」(第四偈)

二處に色因あるは是則ち然らず。若し先に因中に色あらば名けて色因と為さず。若し先に因中に色無きも亦た名けて色因と為さず。問曰、若し二處倶に然らず、但し無因色のみ有らば何の咎かあるや。答曰、

「無因にして而も色有らば 是事終に然らず。是故に有智者は應に色を分別すべからず」(第五偈)

若し因中に果あるも因中に果無きも此事尚ほ不可得なり。何ぞ況んや無因有色なるをや。是故に言ふ、無因にして而かも色あらば是事終に然らず。是故に有智者は應に色を分別すべからず、と。分別は名けて凡夫とす。無明愛染を以て色に貪著し、然る後に邪見を以て分別戲論を生じ、因中有果・無果等を説く。今此中に色を求めるに不可得なり。是故に智者は應に分別すべからず。復次に、

 「若し果が因に似るも 是事則ち然らず。果が若し因に似ざるも 是事亦た然らず」(第六偈)

若し果と因と相ひ似ること是事は然らず。因は細、果は麁なるが故に。因果・色力等各の異なる。布は縷に似たらば則ち布と名けず。縷は多く布は一なるが故なるが如し。因果は相似と言ふを得ず。若し因果が相似せざるも是亦た然らず。麻縷は絹を成ぜず、麁縷は細布を出すこと無きが如し。是故に因果は相似せずと言ふを得ず。二義然らず。故に色無なし、色因なし。

 「受陰及び想陰・行陰・識陰等、其餘の一切法は 皆な色陰に同じ」(第七偈)(五蘊の残り受・想・行・識は色陰のケースと同じ)

四陰及び一切法は亦た應に如是に思惟し破すべし。又今、造論者は空の義を讃美せんと欲するが故に而も偈を説く、

「若し人、問者有らんに 空を離れて而も答へんと欲せば是れ則ち答を成すことをえず。 倶に彼の疑に同じ」(第八偈)

「若し人、難問すること有らんに 空を離れて其の過を説かば是れ難問を成ぜず。 倶に彼の疑に同じ」(第九偈)

若し人、論議する時、各の所執あり。空の義を離れて而も問答する者あらば、皆問答を成ぜず。倶に亦た疑に同じ。人が瓶は是れ無常と言ふが如し。問者言く、何を以っての故に無常なるやと。答言く、無常の因より生ずる故に、と。此を答と名けず。何以故、因縁中に亦た疑はしく、常為るや無常為るやを知らざるあり。是れを彼の所疑に同じと為す。問者が若し其の過を説かんと欲するに空に依らずして而も諸法は無常と説けば則ち問難と名けず。何以故。汝、無常に因って我が常を破す。我れ亦た常に因りて汝の無常を破す。若し實に無常ならば則ち業報無し。眼耳等の諸法念念に滅して亦た分別有ること無し。如是等の過有りて皆問難を成ぜず、彼の所疑に同じ。若し空に依って常を破せば則ち過あることなし。何以故。此の人、空相を取らざるが故に。是の故に若し問

答せんと欲するすら尚ほ應に空法に依るべし。何ぞ況んや離苦寂滅相を求めんと欲する者をや。(觀五陰品第四終わり)

 

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