放光般若経第十九建立品に「菩薩はいかんがよく佛土を清むるや。佛いわく、菩薩初発意より以来、常に身口意を清め、ならびに余人を化して身口意を清めしむ。・・是の故に菩薩衆悪を捨ておわりて自ら六波羅蜜を行じ、余人を勧進して六波羅蜜を行ぜしめ、この功徳を以って衆生とともに佛国浄を求む」といひ、
無量寿経巻上に「時に世尊王佛、法蔵比丘に告げたまはく、汝が修行する所の荘厳佛土は汝みずからまさに知るべし。比丘、佛に白さく、この義弘深にして我が境界にあらず。唯願わくは世尊、広く為に諸仏如来の浄土の行を敷演せよ。我これを聞き終わりてまさに説のごとく修行して所願を成満すべし」といひ、
悲華経第二大施品に「諸々の菩薩等は願力をもってのゆえに、清浄の土をとり五濁の悪を離る」といひ、
大智度論第七に「佛世界を荘厳するは事大にして、独り功徳を行ずるも、よく成ずることあたわず。要らず、願力を須ふべし。たとえば牛力の車を牽くといえども要らず御者を須って能くいたるところあるが如し。浄世界の願も亦復たこの如し。福徳は牛のごとく、願いは御者の如し。」といへり、
無量寿経巻上に「時に世尊王佛、法蔵比丘に告げたまはく、汝が修行する所の荘厳佛土は汝みずからまさに知るべし。比丘、佛に白さく、この義弘深にして我が境界にあらず。唯願わくは世尊、広く為に諸仏如来の浄土の行を敷演せよ。我これを聞き終わりてまさに説のごとく修行して所願を成満すべし」といひ、
悲華経第二大施品に「諸々の菩薩等は願力をもってのゆえに、清浄の土をとり五濁の悪を離る」といひ、
大智度論第七に「佛世界を荘厳するは事大にして、独り功徳を行ずるも、よく成ずることあたわず。要らず、願力を須ふべし。たとえば牛力の車を牽くといえども要らず御者を須って能くいたるところあるが如し。浄世界の願も亦復たこの如し。福徳は牛のごとく、願いは御者の如し。」といへり、