百練抄(康和五年(1103)十一月二五日)「公家高野大塔を(再建落慶)供養す。」
高野春秋にも「(康和五年癸未年)十一月二十九日。大塔落慶焉。御導師検校明算師」とあります。
壇上伽藍は正歴五年(994)の落雷で諸堂が焼失、寛治二年(1088)白河上皇が登拝、大塔再建の宣旨を下していました。
百練抄(康和五年(1103)十一月二五日)「公家高野大塔を(再建落慶)供養す。」
高野春秋にも「(康和五年癸未年)十一月二十九日。大塔落慶焉。御導師検校明算師」とあります。
壇上伽藍は正歴五年(994)の落雷で諸堂が焼失、寛治二年(1088)白河上皇が登拝、大塔再建の宣旨を下していました。