観音霊験記真鈔5/33
西國四番泉州槇尾寺千手像
釋して云く、上来千手の像の義を演べると雖も亦委しく講せば、密家には四十二臂とも云へり。其の意は観音根本の御手左右二手にあり。其の外に誓願の御手四十手有る故に四十二臂と云ふ。實には千手の尊像なりと雖ども、彼の經に四十手ばかり説玉ふ事は世尊の略説なり。故に千手經に云く、其の千條あり(條は手なり)、今は粗ぼ略して少を説く耳といへり(千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經「若爲十方諸佛速來摩頂授記者。當於頂上化佛手。若爲果蓏諸穀稼者。當於蒲萄手。如是可求之法有其千條。今粗略説少耳」)。誠に千眼千手と成り玉ふ事は過去因位の誓願に依りて、今此の果報を得玉ふなり。其の因位の相を明かさば、千手施陀羅尼經の説に依るに、観世音菩薩佛に白して言さく、世尊我過去無量劫を念ふに、佛在して世に出玉ふを安けて千光王静住如来と云ふ。彼佛我を憐念し玉ふが故に及び一切衆生の為の故に、此の廣大圓満無碍大悲陀羅尼を説き玉ふ。我時に心に歓喜するが故に誓を発して言く、若し我當来に一切衆生を利益し安楽するに堪能せば我即時に身に千手千眼悉く皆具足すと云へり(千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經「世尊我念過去無量億劫。有佛出世。名曰千光王靜住如來。彼佛世尊憐念我故。及爲一切諸衆生故。説此廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼。以金色手摩我頂上作如是言。善男子汝當持此心呪。普爲未來惡世一切衆生作大利樂。我於是時始初地。一聞此呪故超第八地。我時心歡喜故即發誓言。若我當來堪能利益安樂一切衆生者。令我即時身生千手千眼具足。發是願已。應時身上千手千眼悉皆具足。十方大地六種震動。十方千佛悉放光明照觸我身。及照十方無邊世界」)。又云く、千手經の説に依るに四十手は謂く、三界二十五有に約して千手とす。其の二十五有とは俱舎の頌に曰く、四州(東・南・西・北)四悪趣(地獄・餓鬼・畜生・修羅)六欲(四王天・ 忉利天 ・夜摩天・ 兜率天 ・楽変化天・ 他化自在天)幷に梵天、四禅(初禪・二禪・三禪・四禅)四無色(非相天・無所有天・識無變天・空无變天)、無想天、五那含天なり。此の一趣ごとに四十手を配する時、各二十五有に合して千手有り。是三界二十五有の衆生を化度せん為に二十五三昧に入り玉ふ貌を顕して二十五と標する也。或は普門品に第二十五とあることも相當自然の来意なりと雖も、観音は娑婆施無畏者の大士なるが故に二十五三昧を修して二十五有を度する貌尤も殊勝なり。
西國四番泉州泉郡槙尾寺千手観音の像は或旹法界阿闍梨此の寺の南の海上を見玉ふに俄かに瑠璃海と變じ、歌歎音楽して虚空に響き聖衆集まり来たり玉ふ中にも見の長四十餘丈120m以上計なる千手観音光明天地に映發して忽然と顕れ出給ひ、法界阿闍梨に告げての玉はく、我は是れ南方補陀落山より毎日此の槙尾寺に影向する大悲の像なり。今此の寺に参詣して信心あらん衆生を守護して安養浄土に悉く導くなり。汝吾像を彫刻して此の寺に安置せば益々遐代(かだい。遠い未来)の衆生を引導して西方極楽世界に往生ささしめんと新に示現を蒙る。其れより光仁天皇(第49代天皇八世紀)の叡聞に達し、則ち寶亀二年(771年)四月十八日より同七月十八日に至りて、佛工と闍梨と意を合わせて大悲の像成就し畢んぬ。故に此の観音の精舎建立は光仁天皇の御后とも申し奉るなり。南海に現じ玉ふ故に俗に南向千手観音とも云なり。此の寺はもと欽明天皇の后宮の御建立にして、御本尊の弥勒の像は聖武天皇の御願主にて作り玉ふとも云へり。予(松誉)盛年の時分、京兆に於いて和字の三十三所の観音霊場記五巻集る中に槙尾寺の縁起を去る人に尋ねしに千手の像は弘法大師の開基と傳へられける。故に尒云也。今復槙尾寺に至り委しく尋ねて此の真鈔に書すること左の如し。是れを以て正傳と為すべし。
歌に「深山路屋 檜原松原分往けば 槙の御寺に 駒ぞいさめる」
私に云、歌の上の句は下の「槙の御寺」と云はんが為なり。下の句の「駒ぞいさめる」とは総じて深山には駒にかぎらず禽獣の住む物なれば、尒云也。詩人玉屑に云ふ、牛羊径険に帰り、鳥雀枝の深きに聚る(「杜甫・冥誌」「牛羊帰径険 鳥雀聚枝深」」)蓋しこの意なるべし已上。歌の裏の意は深山路等とは無始の無明を指して尒云ふか。「檜原松原」は我等が煩悩荊曲を云なるべし。此の意識經論に出ず。「駒ぞいさめる」とは下の句の「槙の御寺」を真如本覚に喩へて駒は即ち一切衆生に喩ふるなるべし。其の故は漢書魏貌が言に云く、人生は白駒の隙を過ぐるが如し云々( 漢書.卷三三.魏豹傳:「人生一世間,如白駒過隙」)。又諸の経論に心猿意馬の喩へ是廣く説けり。思て知るべし。今云所の歌の意は、吾等衆生無始より已来、無明煩悩ありと雖も、今大悲の像を頼み奉れば忽ちに本覚真如の浄土にいさんで成仏するの意。自ずから三十一字に顕はれたり。妙極の御詠歌なり。已上。古今集に
「我が庵は三輪の山下(やまもと) 恋しくは 訪ひきませ 杉立てる宿」(古今集・雑歌 よみ人しらず)
六帖の歌に
「忘れずば 尋ねもしてん 三輪の山 しるしに 植へし 杉はなくとも」(古今和歌六帖、平安中期の私撰集。)
西國の檜原松原の歌の意に引き合わせて見るべし。又、
「引かれなば 悪しき道にも 入りぬべし 意の駒にたつ゛なゆるすな」(古歌)
「駒ぞいさめる」の下の句を反して見つべし。一遍上人の歌に
「はねばはね 踊らば踊れ 春駒の 法の道をば知る人ぞ知る」