71番弥谷寺は坂を上っていくとガイドブックに紹介されていている「俳句茶屋」があります。
四国新聞の記事です「弥谷寺の表参道を登って行くと、一軒の茶屋がある。お遍路さんが書き残した俳句の短冊が、部屋の中に無数に張り巡らされていることから「俳句茶屋」と呼ばれている。弥谷寺の休憩所として百年以上の歴史を刻んできた。
店を切り盛りするのは三代目の大野姉知子(しちこ)さん。『当初は弥谷寺の関係者が始めた茶屋兼宿坊で、二代目、三代目と茶屋を気に入ったお遍路さんが引き継いできたんよ』と大野さん。二代目の大阪出身の男性が俳句好きだったことが、今の俳句茶屋の原形になったと言う。
茶屋の天井や柱からぶら下がる俳句の中で、大野さんのお気に入りは、実際に茶屋を訪れて詠んだ琴平出身の俳人、故・合田丁字路(ごうだちょうじろ)の句「山の蝶飛んで短し茶屋のれん」。山の蝶(ちょう)の寿命は短くはかないが、茶屋はこれからもずっと続くという意味が込められている。
そんな茶屋には、お遍路さんを魅了してきた名物がある。初代から百年以上受け継いできたところてん、あめ湯、甘酒・・・。秘伝のレシピで疲れた参拝客の疲れを癒やしてきた。
『茶屋はみなで作ってきたもの。これからも弥谷寺さんにお参りする人の道の駅になれば』と大野さんは語る。遠路はるばる訪れたお遍路さんに温かいおもてなしをと今日ものれんを掛ける。(四国新聞)」
茶屋のすぐ向かいには風化した墓石が並んでいます。
色々な俳句が書き連ねてある障子は古くなり飴色です。
女主人に「此処は有名ですね」というと「最近では稲畑汀子さんがみえました」といいます。
しかし、よく聞くと昭和40年頃のことです。
こういうところでは数十年前は最近なのです。 私も一句残したいと思うのですがいつもはずかしくて言い出せないまま休憩しています。
荷物を預けて石段や鉄の梯子をのぼっていくと本堂、大師堂があります。大師堂は岩窟にそって造られており、納経所も部屋の中にあるので履物を脱いで上りました。
八十八個所中畳敷きは初めてです。昔のガイドブックには大師堂入り口の階段横にお蔭を受けた人の松葉杖やギブスが山積になっている写真がありましたが、17年秋にはすでに片付けられていました。残念です。
お遍路さんがお蔭をうけた嬉しさにお大師様に奉納した証拠の品々です。簡単に片付けるべきではありません。
途中の崖にはおおくの磨崖仏が彫られています。澄禅「四国遍路日記」にも「山中の石面は一つ残らず仏像を切り付けたまへり」とありました。
お堂の中にも多くの石仏が祀られています。
お遍路姿の僧侶らしきひとが「そちらにお大師様がいらっしゃいますよ」と奥の院を教えてくれました。
奥の院には洞窟の中に弥勒菩薩やお大師さまが祀られていました。
此処も大師が求聞持法を修せられた場所といわれており神秘的な洞穴でした。大師堂はすべて畳なのでこころゆくまで座って拝めました。
ただ霊気はすごいものがあります。私が御世話になっている老僧はここで護摩を焚こうとして火がつかなくて困ったといっていました。何かあります。
四国新聞の記事です「弥谷寺の表参道を登って行くと、一軒の茶屋がある。お遍路さんが書き残した俳句の短冊が、部屋の中に無数に張り巡らされていることから「俳句茶屋」と呼ばれている。弥谷寺の休憩所として百年以上の歴史を刻んできた。
店を切り盛りするのは三代目の大野姉知子(しちこ)さん。『当初は弥谷寺の関係者が始めた茶屋兼宿坊で、二代目、三代目と茶屋を気に入ったお遍路さんが引き継いできたんよ』と大野さん。二代目の大阪出身の男性が俳句好きだったことが、今の俳句茶屋の原形になったと言う。
茶屋の天井や柱からぶら下がる俳句の中で、大野さんのお気に入りは、実際に茶屋を訪れて詠んだ琴平出身の俳人、故・合田丁字路(ごうだちょうじろ)の句「山の蝶飛んで短し茶屋のれん」。山の蝶(ちょう)の寿命は短くはかないが、茶屋はこれからもずっと続くという意味が込められている。
そんな茶屋には、お遍路さんを魅了してきた名物がある。初代から百年以上受け継いできたところてん、あめ湯、甘酒・・・。秘伝のレシピで疲れた参拝客の疲れを癒やしてきた。
『茶屋はみなで作ってきたもの。これからも弥谷寺さんにお参りする人の道の駅になれば』と大野さんは語る。遠路はるばる訪れたお遍路さんに温かいおもてなしをと今日ものれんを掛ける。(四国新聞)」
茶屋のすぐ向かいには風化した墓石が並んでいます。
色々な俳句が書き連ねてある障子は古くなり飴色です。
女主人に「此処は有名ですね」というと「最近では稲畑汀子さんがみえました」といいます。
しかし、よく聞くと昭和40年頃のことです。
こういうところでは数十年前は最近なのです。 私も一句残したいと思うのですがいつもはずかしくて言い出せないまま休憩しています。
荷物を預けて石段や鉄の梯子をのぼっていくと本堂、大師堂があります。大師堂は岩窟にそって造られており、納経所も部屋の中にあるので履物を脱いで上りました。
八十八個所中畳敷きは初めてです。昔のガイドブックには大師堂入り口の階段横にお蔭を受けた人の松葉杖やギブスが山積になっている写真がありましたが、17年秋にはすでに片付けられていました。残念です。
お遍路さんがお蔭をうけた嬉しさにお大師様に奉納した証拠の品々です。簡単に片付けるべきではありません。
途中の崖にはおおくの磨崖仏が彫られています。澄禅「四国遍路日記」にも「山中の石面は一つ残らず仏像を切り付けたまへり」とありました。
お堂の中にも多くの石仏が祀られています。
お遍路姿の僧侶らしきひとが「そちらにお大師様がいらっしゃいますよ」と奥の院を教えてくれました。
奥の院には洞窟の中に弥勒菩薩やお大師さまが祀られていました。
此処も大師が求聞持法を修せられた場所といわれており神秘的な洞穴でした。大師堂はすべて畳なのでこころゆくまで座って拝めました。
ただ霊気はすごいものがあります。私が御世話になっている老僧はここで護摩を焚こうとして火がつかなくて困ったといっていました。何かあります。