福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験その121

2014-08-29 | 四国八十八所の霊験
お大師様の弟子で四国三十五番清滝寺の二代目住職をつとめられた真如法新王は862(貞観六)年64才で入唐されさらに印度を目指されました。そして78才のとき羅越国でなくなりました。
延久4年(1073)には成尋が60歳過ぎて円珍の足跡を慕って入唐しています。(成尋は宋の神宗皇帝の命を受け、雨乞いの祈祷をし成功、善恵大師と賜号されています。)



大唐西域記によるとカニシカ王朝時代の脇尊者は80歳で出家し、脇を床につけることなく修行し3年で悟ったといいます。その後禅の第10祖となっています。(初尊者 之爲梵志師也。年八十を垂ぎ、家を捨て染衣を染む。城中の少年更に之をはやして曰く。愚夫朽老一何ぞ淺智なる。夫れ出家者に二業あり。一は則ち習定。二は乃ち誦經。而して今、衰耄して進取する所なし。清流の迹を濫して徒知飽食す、と。時に脇尊者諸の譏議を聞き、因謝時人而自ら誓って曰く。我れ若し通三藏理通ぜず三界の欲を斷ぜず、六神通を得ず、八解脱を具せざれば、終に脇をもって席につかず。自爾之後唯だ日不足して經行・宴坐・住立・思惟す。晝は則ち研習理教。夜は乃ち靜慮凝神。三歳綿歴して學三藏に通じ、三界の欲を斷じて三明智を得る。時に人敬仰して因って脇尊者と號す。大唐西域記)
 佛図澄は310(永嘉4)年79歳で西域から洛陽にきて117歳まで動乱の華北において布教しています。法顕は399(隆安3)年64歳で、長安からインドへ求法の旅に出、70歳でインド、スリランカにわたり、『摩訶僧祇律』『雑阿毘曇心論』『五分律』、『長阿含経』などを得て413年(義熙9年)78歳で海路、青州(山東省)へ帰国しました。『法顕伝』は有名です。
また唐の禅僧趙州禅師(778 ~ 897)は「狗子に仏性ありや」の趙州録で有名ですが、禅師は18歳で悟りを開かれ、40年余の修業の後、60歳から80歳まで諸国行脚、120歳まで説法を続けたといわれます。

高野山往生伝にはおおくの僧侶が老年になって修行した例が載っています。清原正国は「武芸を好み悪としてなさざるはなし」という侍でしたが61歳で出家した後は毎日十万遍の念仏を唱え寛治七(1096)年87歳で遷化したということです。

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