モラエス「日本精神」1925
神道と仏教が融合するときにみられたような・・あんなぴったり一如となった宗教は他にはなかっただろう。国民はその二つの信仰をまるで一つのように抱擁した。そして神社も増やせば寺院も多くして正しい人間となって、あの欠点・・蒙古の祖先から深くしみ込んでいた粗暴さ・・を除いた。農夫は牛をまるで耕作の兄弟みたいに取り扱って,四肢の奴隷としては取り扱わない。牛の言葉や表情を理解し耕作の事について話し合いさえする。・・
日本人の考えにとって家族の祭祀は生活にとっての一切なのである。・・死んだ家族の祭祀、逝った祖先の祭祀だ。これらの祖先は幽界での、それに相当した徳によって、また生きている者のする家族的なお祀りの贖罪によって、あの世の幸福を得ている。そしてその感謝された霊は熱心におこなってくれる鄭重な先祖祀りに対して慈悲深い保護で返礼し、生きている者どものこの世の歩みを導き困難を除いてその希望するあの世への幸福へと伴っていく。だから死ぬために生きているといえるし、生きるために死ぬともいえる。家庭は祭祀の寺院であり・・・自然に戸主がみんなの中で僧侶の役目、族長になる。こうして家が聖められる。・・家族の家は寺院だ。・・徳と名誉の寺院だ。・・個人は無であり、家族がすべてである。・・タゴールは「日本とインドとが死を迎えるときに微笑みをもらす世界で唯二の国である」といった。・・
日本の文法には冠詞がない、名詞も形容詞も不変化で性や数に関係がない。人称代名詞はないも同然である。・・叙法に文法上の主格がない、したがって個々の人がことさらに自己の立場から身を引くので事件の傍観者もなければ目撃者もない世界にいるといった現象が起こるのだ。・・それによって日本人の没個性性が理解されてくるのである。・・日本人は・・・地上の災厄を呪ったり造物主といったものを崇拝したりというようなことがなく、したがって個人性の軽視、つまり没個人性になった。・・珊瑚虫がより集まって作る環礁や蜜蜂の集団生活に見られるように・・こういう没個性は自然が企てているところに的確に一致しているのである。全ての人は無意識のうちに無名のままにその属する国民の幸福の為に働いている。・・この没個性性の原理の周囲に、先祖の祭祀、天皇への尊崇、祖国愛、民衆的自負の深い深い根源、仏教が日本人の情緒に作用して風習を和らげ捨身・簡易・抑制を説いて特に未来に対しる信仰を固めさせたあの大きな影響。限りない勇敢。主長に対する服従・結衆的協働的な原理への傾向があり、日本人は疑いなく文明人のなかで死に対して一番勇敢である。
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