善財童子の訪問者と教え(華厳経入法界品)26
廿五番目、南方難忍国迦陵伽婆提城(かりょうがばだいじょう) 師子奮迅比丘尼
迦陵伽婆提城の無数の宝樹や楼閣のある日光林のなかで師子奮迅比丘尼が寶獅子座に端厳殊妙に坐しておられた。師子奮迅比丘尼は我は菩薩の【一切智底法門】を成就している。若し衆生が我所に来れば彼が為に般若波羅蜜を説くであろう。しかし仏や衆生の姿・形・言葉等を認知するのではない。すべては幻の如くであるから・・。」という。
「『善男子よ、我は菩薩の【一切智底法門】を成就せり。・・善男子よ、此法門は智光莊嚴にして一念中に於いて普く三世を照す。・・・此の法門に入らば現前に一切法林三昧を正受せん・・・若し衆生有りて我が供養を知らば皆阿耨多羅三藐三菩提に於いて不退轉を得ん。其れ衆生有り來りて我所に至らば即ち彼が為に般若波羅蜜を説かん。我は衆生の想をおこさず、衆生の相を取らず、一切の語言を知りて語言に著せず。一切の佛を見たてまつりて佛の相を取らず。深く法身を解す故なり。一切諸佛法輪を受持して而も亦た法輪の相を取らず。諸佛の眞實相を解了するが故なり。念念の中において悉く能く一切法界に充滿して而も亦た法界の相を取らず。一切法は猶し幻の如しと了す故なり。善男子よ、我唯だ此の菩薩の【一切智底法門】を知るのみ。』。
この菩薩は菩薩五十二位の下から廿四番目、十廻向の下から四番目ということで華厳五十五所絵巻でも「第四至一切処廻向」としています。
獅子奮迅比丘尼は「仏や衆生の姿・形・言葉等を認知するのではない。すべては幻の如くであるから」といいます。だいぶ以前、竜沢僧堂師家鈴木宗忠老師の提唱を拝聴したことがありますが老師は開口一番「ここから見ると皆さんは因果の博覧会じゃ」とおっしゃいました。老師の眼にも参列者は因果の糸により出来ている幻のようなものと見えていたのだと思われます。
廿五番目、南方難忍国迦陵伽婆提城(かりょうがばだいじょう) 師子奮迅比丘尼
迦陵伽婆提城の無数の宝樹や楼閣のある日光林のなかで師子奮迅比丘尼が寶獅子座に端厳殊妙に坐しておられた。師子奮迅比丘尼は我は菩薩の【一切智底法門】を成就している。若し衆生が我所に来れば彼が為に般若波羅蜜を説くであろう。しかし仏や衆生の姿・形・言葉等を認知するのではない。すべては幻の如くであるから・・。」という。
「『善男子よ、我は菩薩の【一切智底法門】を成就せり。・・善男子よ、此法門は智光莊嚴にして一念中に於いて普く三世を照す。・・・此の法門に入らば現前に一切法林三昧を正受せん・・・若し衆生有りて我が供養を知らば皆阿耨多羅三藐三菩提に於いて不退轉を得ん。其れ衆生有り來りて我所に至らば即ち彼が為に般若波羅蜜を説かん。我は衆生の想をおこさず、衆生の相を取らず、一切の語言を知りて語言に著せず。一切の佛を見たてまつりて佛の相を取らず。深く法身を解す故なり。一切諸佛法輪を受持して而も亦た法輪の相を取らず。諸佛の眞實相を解了するが故なり。念念の中において悉く能く一切法界に充滿して而も亦た法界の相を取らず。一切法は猶し幻の如しと了す故なり。善男子よ、我唯だ此の菩薩の【一切智底法門】を知るのみ。』。
この菩薩は菩薩五十二位の下から廿四番目、十廻向の下から四番目ということで華厳五十五所絵巻でも「第四至一切処廻向」としています。
獅子奮迅比丘尼は「仏や衆生の姿・形・言葉等を認知するのではない。すべては幻の如くであるから」といいます。だいぶ以前、竜沢僧堂師家鈴木宗忠老師の提唱を拝聴したことがありますが老師は開口一番「ここから見ると皆さんは因果の博覧会じゃ」とおっしゃいました。老師の眼にも参列者は因果の糸により出来ている幻のようなものと見えていたのだと思われます。