福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

一昨日(旧暦涅槃会の日)慈雲尊者ゆかりの寺を参拝できました。その2

2013-03-28 | 講員の活動等ご紹介
2、野中寺の次は、高貴寺に参拝しました。


高貴寺は役行者が葛城山中に法華経二十八品に配して二十八寺を建立したうちの一宇です。当時は香花寺と称したようですが弘法大師巡錫の折、高貴徳王菩薩を感得され以来高貴寺と称するとされます。大師は自ら五大明王、弁財天様を彫り出されています。
慈雲尊者は1773年(安永2年)から1804年(文化元年)87歳で京都で遷化されるまで30年間当寺に住まわれました。尊者69歳の時には真言律宗(正法律)の総本山として公に認可されています。尊者は中興第一世とされています。尊者はここで「梵学津梁」一千巻も著されました。
求聞持のため鎌倉時代に戒如が建立したとされる奥ノ院には尊者の五輪塔の墓があります。奥ノ院は中央に大師、向かって右に不動明王 左に高貴徳王菩薩が祀られています。法主様のお話によると「ここで大師も求聞持をされたのではないか。丁度本堂の左正面に明星が出る。お堂の前側の戸の星形の文様のうちくりぬかれているところが数か所あるがこれはここから明星を拝するためのものではないか、明治になっては土宜法龍師がここの最後の求聞持行者である。」「昔は悉曇十八章が完成するとここの奥ノ院裏に納めることになっていた。旧事記に『にぎはやひめのみこと』が降臨されたので神下山という。」等のことでした。

下の本堂は正法律の最初の僧坊である長栄寺の本堂を模して造られています。本堂横の開山堂は中央に慈雲尊者がお祀りされていました。左右に聯があり、向かって右には
『天地長育して殺さず 万物あたへてうばわず 陰陽その功あり 月白く風清し 文華の徳を害するを知る 山たかく海ふかし 憎愛の性に戻るをしる 足ることを知るものは常に富み いからざる者は壽ながし 
春秋に馴れてもなれぬながめかな たにの戸ぼその あけがたの空』
左には
『善悪報あり 神祇霊あり 日月下土を照覧してみずからその功にほこらず 山川衆生を保育して亦みずから育せず 経にいわく 今此三界皆是我有 其中衆生悉吾子
葛城はをのが時雨の折を得て 雲間にそむる峰の紅葉ば』
と尊者の直筆の筆跡で彫られています。

俗塵に染まっていた心もこういうところを拝してすっかりきれいに洗われたおもいです。二日後のいまでもこのとき感じた何とも言えないありがたさがそのまま残っています。阿頼耶識に薫習しているといいのですが。
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