・神代(注『記紀』では、天地開闢の最初に現れた以下の十一柱七代の神を神世七代としている。1、国常立尊(くにのとこたちのみこと)2、国狭槌尊(くにのさつちのみこと)3、豊斟渟尊(とよぐもぬのみこと)4、泥土煮尊(ういじにのみこと)・沙土煮尊(すいじにのみこと)5、大戸之道尊(おおとのじのみこと)・大苫辺尊(おおとまべのみこと)6、面足尊 (おもだるのみこと) ・惶根尊 (かしこねのみこと)7、伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)・伊弉冉尊 (いざなみのみこと)である。麗気記でも天神七葉としてこれらの神々は過去七佛(毘婆尸仏; 尸棄仏; 毘舎浮仏; 倶留孫仏; 倶那含牟尼仏; 迦葉仏; 釈迦仏)が転じて天の七星(貪狼、巨門、禄存、文曲、廉貞、武曲、破軍)としてあらわれたものとする。
しかし正統記では以下のように親房は伊弉諾伊弉冉をのぞいて六代としている。)
天地が未分化の時、鶏卵のようにまるかった。薄暗くて物のきざしはその中にふくまれたままであった。陰と陽の元素が未分化で一の気の状態にあったのである。その気がはじめて分かれて清く明らかな部分はたなびいて天となり、重く濁った部分は続いて地となった。その中から葦牙(あしかび)のようなものが生れ出て化して神となった。これを国常立尊(くにのとこたちのみこと・・国土が確固としているようにとの意味)という。この神には木火土金水の五行の徳が備わっていた。まず水徳が神に化してあらわれたのを国狭槌尊(くにのさつちのみこと)という。つぎに火徳の神を「豊斟渟尊とよくむぬのみこと」という。これらの神は天の道によってひとりおのずから生まれた。・・つぎに木徳の神を泥土瓊尊(うひじにのみこと)・沙土瓊尊(すひじにのみこと)という。つぎに金徳の神を大戸之道尊(おおとのじのみこと)・大苦辺尊(おおとまべのみこと)という。つぎの土徳の神を面足尊(おもたるのみこと)・惶根尊(かしこねのみこと)という。この諸々の神は実は国常立尊一柱のことであろう。五行の徳がそれぞれ神としてあらわれられたのをあわせて六代と数えるのでる。だからこの中で二代目三代目といった順序は立てるべきでない。
つぎに化生した神を伊弉諾尊・伊弉冉尊という。この神はまさしく陰陽の二つに分かれて万物創造の根元となった。・・ここに天祖国常立尊が伊弉諾・伊弉冉二神に勅して「豊葦原の千五百秋の瑞穂の地(くに)あり、汝往きてこれを治めよ」といい、天瓊矛(あまのぬぼこ)を授けた。諾・冉二神はこの矛を受け取り天浮橋の上に立って矛を下に向けてさしおろし探ってみたが滄海ばかりであった。だがその矛先からしたたりおちた水滴がこりかたまって一つの島になった。これをおのころ島という。この名前については秘説がある。「おんころころ」という(注、薬師如来の)梵語があるが、神代の「おもころ」はこれに通じているかもしれぬというのである。この島の所在がどこかをはっきり知っている人はいないが、大日本の国、宝山(葛城山)のことだという。
二神は此の国に降り・・八つの島を生んだ。まず淡路の洲、・・次に伊予の二名の洲、・・次に筑紫の洲を生む。つぎに壱岐の国を生む。次に対馬の洲を生む。次に佐渡の洲を生む。・・つぎに大日本豊秋津洲を生む。これらすべてをあわせて大八島というのである。このほかさらにたくさんの島を生んだ。(日本はまたの名を「葦原中国、とよあしはらのなかつくに」というがこれは「梵字の『阿』字の原」の意味である。その葦原中国の形は丁度杵のようである。これは独鈷所の形である。大日本国と云うのはこの独鈷所の形の呼び名である。またこの独鈷杵は大日如来の三昧耶身である。つまりこの天瓊戈は天の御柱であり、心柱である。)のちに海山の神、草の祖にいたるまでのことごとくを生んだ。・・諾・冉二神はまた語り合って「われらはすでに大八州の国および山川草木を生んだ。このうえは天の下の君たるものをうまねばならない」といい、まず日の神を生んだ。・・(この神を)天柱によって天に送りあげた。これを大日孁貴尊(おおひるめ)という。また天照大神ともいう。つぎに月神を生んだ。・つぎに蛭子を生んだ。・・つぎに素戔嗚を生む。この神は勇猛で怒りっぽく父母神の気にいらなかったから「根の国(よみ)にいけ」と命じた。・・その後,伊弉冉(男神)が火神かぐつちを生んだ時、伊弉冉(女神)は焼かれて亡くなった。伊弉諾は怒って火神を三つに断ち切ったが・・これが経津主神(ふつぬしのかみ・・いまの香取の神)、武甕槌神(たけみかずち・・鹿島の神)の祖である。陽神はなお陰神を慕って黄泉の国までいったがさまざまな約束違反をした。陰神はそれをうらんで「この国の人を一日に千人殺してしまおう」といったので、陽神は「では千五百人を生もう」といいかえした。・・陽神は黄泉から戻って日向の小戸の檍原(あはぎがはら)というところでみそぎをして身を祓い清めた。このときたくさんの神が化生した。伊弉諾尊は国生みなどの功業がすでに十分なので天上にのぼり天祖の此れを報告し、そこにとどまったということである。或る説では伊弉諾・伊弉冉は・・光明大梵天王・尸棄大梵天王とか伊舎那天・伊舎那宮のことという。
しかし正統記では以下のように親房は伊弉諾伊弉冉をのぞいて六代としている。)
天地が未分化の時、鶏卵のようにまるかった。薄暗くて物のきざしはその中にふくまれたままであった。陰と陽の元素が未分化で一の気の状態にあったのである。その気がはじめて分かれて清く明らかな部分はたなびいて天となり、重く濁った部分は続いて地となった。その中から葦牙(あしかび)のようなものが生れ出て化して神となった。これを国常立尊(くにのとこたちのみこと・・国土が確固としているようにとの意味)という。この神には木火土金水の五行の徳が備わっていた。まず水徳が神に化してあらわれたのを国狭槌尊(くにのさつちのみこと)という。つぎに火徳の神を「豊斟渟尊とよくむぬのみこと」という。これらの神は天の道によってひとりおのずから生まれた。・・つぎに木徳の神を泥土瓊尊(うひじにのみこと)・沙土瓊尊(すひじにのみこと)という。つぎに金徳の神を大戸之道尊(おおとのじのみこと)・大苦辺尊(おおとまべのみこと)という。つぎの土徳の神を面足尊(おもたるのみこと)・惶根尊(かしこねのみこと)という。この諸々の神は実は国常立尊一柱のことであろう。五行の徳がそれぞれ神としてあらわれられたのをあわせて六代と数えるのでる。だからこの中で二代目三代目といった順序は立てるべきでない。
つぎに化生した神を伊弉諾尊・伊弉冉尊という。この神はまさしく陰陽の二つに分かれて万物創造の根元となった。・・ここに天祖国常立尊が伊弉諾・伊弉冉二神に勅して「豊葦原の千五百秋の瑞穂の地(くに)あり、汝往きてこれを治めよ」といい、天瓊矛(あまのぬぼこ)を授けた。諾・冉二神はこの矛を受け取り天浮橋の上に立って矛を下に向けてさしおろし探ってみたが滄海ばかりであった。だがその矛先からしたたりおちた水滴がこりかたまって一つの島になった。これをおのころ島という。この名前については秘説がある。「おんころころ」という(注、薬師如来の)梵語があるが、神代の「おもころ」はこれに通じているかもしれぬというのである。この島の所在がどこかをはっきり知っている人はいないが、大日本の国、宝山(葛城山)のことだという。
二神は此の国に降り・・八つの島を生んだ。まず淡路の洲、・・次に伊予の二名の洲、・・次に筑紫の洲を生む。つぎに壱岐の国を生む。次に対馬の洲を生む。次に佐渡の洲を生む。・・つぎに大日本豊秋津洲を生む。これらすべてをあわせて大八島というのである。このほかさらにたくさんの島を生んだ。(日本はまたの名を「葦原中国、とよあしはらのなかつくに」というがこれは「梵字の『阿』字の原」の意味である。その葦原中国の形は丁度杵のようである。これは独鈷所の形である。大日本国と云うのはこの独鈷所の形の呼び名である。またこの独鈷杵は大日如来の三昧耶身である。つまりこの天瓊戈は天の御柱であり、心柱である。)のちに海山の神、草の祖にいたるまでのことごとくを生んだ。・・諾・冉二神はまた語り合って「われらはすでに大八州の国および山川草木を生んだ。このうえは天の下の君たるものをうまねばならない」といい、まず日の神を生んだ。・・(この神を)天柱によって天に送りあげた。これを大日孁貴尊(おおひるめ)という。また天照大神ともいう。つぎに月神を生んだ。・つぎに蛭子を生んだ。・・つぎに素戔嗚を生む。この神は勇猛で怒りっぽく父母神の気にいらなかったから「根の国(よみ)にいけ」と命じた。・・その後,伊弉冉(男神)が火神かぐつちを生んだ時、伊弉冉(女神)は焼かれて亡くなった。伊弉諾は怒って火神を三つに断ち切ったが・・これが経津主神(ふつぬしのかみ・・いまの香取の神)、武甕槌神(たけみかずち・・鹿島の神)の祖である。陽神はなお陰神を慕って黄泉の国までいったがさまざまな約束違反をした。陰神はそれをうらんで「この国の人を一日に千人殺してしまおう」といったので、陽神は「では千五百人を生もう」といいかえした。・・陽神は黄泉から戻って日向の小戸の檍原(あはぎがはら)というところでみそぎをして身を祓い清めた。このときたくさんの神が化生した。伊弉諾尊は国生みなどの功業がすでに十分なので天上にのぼり天祖の此れを報告し、そこにとどまったということである。或る説では伊弉諾・伊弉冉は・・光明大梵天王・尸棄大梵天王とか伊舎那天・伊舎那宮のことという。