34番種間寺から 35番清滝寺へは仁淀川を渡って10キロくらいです。しかし1回目のときはなぜか疲れてふらふらでした。高知自動車道から清滝寺へ上る小道が分らずうろうろしていると、70代とおぼしき老遍路が風の様な速さで現れ、「そこをまがるんじゃ、ついてくればいい」といって猛スピードで歩いてゆきます。当方も負けじとついていきましたが息を切らせました。老人は「自分は毎月一万円位の年金を受け取りつつこうして廻っている。実家には帰らない。遍路をしているとなんとかなるものだ。今日は清滝寺の通夜堂に泊めてもらう」等と話してくれました。 喜捨をしようと思いましたがなぜか言い出せないまま別れました。善意を形にするのは即断即決の勇気がいるものです。
35番清滝寺はお薬師様がご本尊です。養老7年行基菩薩がご本尊薬師如来を刻まれ開創されその後、大師が修法された満願の日に金剛杖で突くと湧水が湧き出て鏡のようになったといい、寺号を医王山鏡池院清滝寺とされたとされます。
ここでは私の先輩K氏の末期癌の快癒を特におねがいしました。ここの霊水は88箇所中随一と聞きました。本堂に向かって右に滔々と湧き出る霊水があります。飲むと本当に甘い水でした。「空性法親王四国霊場御巡行記」では「・・種間寺過ぎて二淀川水の流れも清滝寺・・」とあります。御詠歌も「すむみつ゛をくめば 心の きよたきじ なみの はなちる いわのはごろも」です。
むかしからここの霊水は有名だったと思われます。あまりにおいしいので写真にとりました。
不思議はそのあとです。
後で拡大すると水小屋の梁に快癒を祈念したK氏と同じ名前のまだ新しい納札が貼られていたのです。同じ名前の人がつい最近遍路にきていたのです。
帰ってK氏に連絡してみると半年もたないといわれたK氏は奇跡的に回方に向かい外国旅行にまで行っていました。医者が驚嘆していました。
お薬師様は衆生の病を癒してくださる仏さまです。平幡師の「四国遍路」によると、以前には本堂にお蔭を受けた人たちの奉納した額・松葉杖・ギブス等が並んでいたようです。
なんというありがたいことでしょうか。四国遍路に何度も来る人がいますがこういうお蔭をいただきお礼に来ている人も多いのだろうと思います。
3度目のときは境内にワンボックスカーが止まり、若いご夫婦と小学校3,4年とおもわれる男の子が出てきました。しかしよくみるとまだ中に寝たきりの小さい子供がいます。家族で此の子の祈願をして周っているのだとすぐ分かりました。小学生らしき男の子は甲斐甲斐しく霊水を運んでいました。寝たきりの弟に飲ませるためでしよう。両親の前で大人びて行動するのが不憫至極でした。この家族に幸あれと心から祈らずにはいられませんでした。
◇
ここは薬子の乱で出家した平城天皇第三王子高岡親王(のち大師の高弟の真如法親王となる)が渡印を計画された寺でご自身で逆修塔を建てられ、印度へ出発されました。壮絶なご決意です。高岡親王は東南アジアでトラの犠牲となったと伝えられています。(親王はマレーシアのジョホール・ バルで薨去されたとして1970年1月 高野山親王院関係者がここに供養塔を建立されているということです)
清滝寺には真如法親王の森がありますがここはいらずの森ということになっています。原生林のように鬱蒼としげっています。古来斧が入ってないのでです。
清滝寺の麓には「土佐市観光」というタクシー会社の建物が田んぼのなかにたっています。
一回目の遍路の時は帰りにタクシーに乗ろうと立ち寄ったら運転手は出払っていて、社長みずから自家用車で次の遍路宿までお接待していただきました。ここでは35番清滝寺へ登るお遍路さんの荷物を無料で預かってくれます。陰徳をつんでいる会社です。かならず発展すると思いました。
35番清滝寺はお薬師様がご本尊です。養老7年行基菩薩がご本尊薬師如来を刻まれ開創されその後、大師が修法された満願の日に金剛杖で突くと湧水が湧き出て鏡のようになったといい、寺号を医王山鏡池院清滝寺とされたとされます。
ここでは私の先輩K氏の末期癌の快癒を特におねがいしました。ここの霊水は88箇所中随一と聞きました。本堂に向かって右に滔々と湧き出る霊水があります。飲むと本当に甘い水でした。「空性法親王四国霊場御巡行記」では「・・種間寺過ぎて二淀川水の流れも清滝寺・・」とあります。御詠歌も「すむみつ゛をくめば 心の きよたきじ なみの はなちる いわのはごろも」です。
むかしからここの霊水は有名だったと思われます。あまりにおいしいので写真にとりました。
不思議はそのあとです。
後で拡大すると水小屋の梁に快癒を祈念したK氏と同じ名前のまだ新しい納札が貼られていたのです。同じ名前の人がつい最近遍路にきていたのです。
帰ってK氏に連絡してみると半年もたないといわれたK氏は奇跡的に回方に向かい外国旅行にまで行っていました。医者が驚嘆していました。
お薬師様は衆生の病を癒してくださる仏さまです。平幡師の「四国遍路」によると、以前には本堂にお蔭を受けた人たちの奉納した額・松葉杖・ギブス等が並んでいたようです。
なんというありがたいことでしょうか。四国遍路に何度も来る人がいますがこういうお蔭をいただきお礼に来ている人も多いのだろうと思います。
3度目のときは境内にワンボックスカーが止まり、若いご夫婦と小学校3,4年とおもわれる男の子が出てきました。しかしよくみるとまだ中に寝たきりの小さい子供がいます。家族で此の子の祈願をして周っているのだとすぐ分かりました。小学生らしき男の子は甲斐甲斐しく霊水を運んでいました。寝たきりの弟に飲ませるためでしよう。両親の前で大人びて行動するのが不憫至極でした。この家族に幸あれと心から祈らずにはいられませんでした。
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ここは薬子の乱で出家した平城天皇第三王子高岡親王(のち大師の高弟の真如法親王となる)が渡印を計画された寺でご自身で逆修塔を建てられ、印度へ出発されました。壮絶なご決意です。高岡親王は東南アジアでトラの犠牲となったと伝えられています。(親王はマレーシアのジョホール・ バルで薨去されたとして1970年1月 高野山親王院関係者がここに供養塔を建立されているということです)
清滝寺には真如法親王の森がありますがここはいらずの森ということになっています。原生林のように鬱蒼としげっています。古来斧が入ってないのでです。
清滝寺の麓には「土佐市観光」というタクシー会社の建物が田んぼのなかにたっています。
一回目の遍路の時は帰りにタクシーに乗ろうと立ち寄ったら運転手は出払っていて、社長みずから自家用車で次の遍路宿までお接待していただきました。ここでは35番清滝寺へ登るお遍路さんの荷物を無料で預かってくれます。陰徳をつんでいる会社です。かならず発展すると思いました。