1、
最近、仏教徒は減りキリスト教徒が増えているとの文化庁の宗教年鑑の記事がありました。
一読、大変な事態と思いました。僧侶の責任は大が上にも大ですが、放置しておくと日本が完全に溶解すると思いました。以下理由を述べます。
2、キリスト教は日本の国体・天皇制と相容れないものであること
キリスト教と天皇制は基本的に相容れません。
たとえばここにはキリスト教諸団体が天皇陛下の即位の礼を強く否定する声明を出しています。
もともとキリスト教と天皇制は相容れないことは戦国時代から分かっていました。
・永禄八年1565七月五日
正親町(おうぎまち)天皇から宣教師追放の女房奉書「今日左京太夫禁裏女房奉書出、大うすはらひたるよし」
・秀吉は『吉利支丹伴天連追放令』(天正十五年1587六月十九日) で「日本ハ神國たる處、きりしたん國より邪法を授候儀、太以不可然候事。」といっています。
3、先祖供養と断絶するものであること。
先祖供養は日本人の精神基盤をなしていました。
帝国大学長穂積八束も「我国ハ祖先教ノ国ナリ」といっています。
日本民族は先祖教ともいうべき民族です。
しかしキリスト教は先祖供養を否定します。「地上を生きる子孫の祈りは、あの世の先祖には届きませんし、死者との交流もできません。」と書かれています。
4、その結果かどうかは分かりませんが自分の知っている限りキリスト教に転向した方は必ずしも平穏な人生とは言えない例が多くありました。
・古くは、細川ガラシャは石田三成に攻められ自刃、高山右近はフィリピンで客死、キリスト教布教を認めた織田信長も最後は悲惨でした。
私の友人等の例ですが・・・
・地方の病院長に単身赴任後3日目に心臓発作で孤独死、故郷の先祖の墓は荒れ放題となっている例。
・母親がキリスト教に転向したのち子供が離婚、癌にかかり死亡した例。
・父親が犯罪者となったのちに長男が死亡事故を起こした例。
・転向した本人が脳出血・半身不随になった例。
・障害を持った子に先立たれた例・・・等枚挙に暇ありません。
どの人の人生も平穏とは言えませんがそれにしても皆さん善人ばかりでした。なぜこういう善人が・・と思わずにはおれません。中には葬儀を教会ではなく当方に頼んだ人もいてこの人達には最高の葬儀・供養ができていますが、他のキリスト教の友人たちは毎夕菩提を弔っていても、魂に届いているのかあまり確信が持てません。