第四、四句の略答
さきの九問の順序にこだわらず、大日経では最初に第三問心続生の意味を説かれる。大日経に「心続生の相は諸仏の大秘密なり。外道は知ることあたわず」とあり、大日經疏に「心続生の相とはこの心は畢竟常浄にして猶し虚空の一切の相を離れたるが如くなりといえども而も亦、因縁より起こして心相生ずることあり、・・當に知るべし。この心は縁より生ずるが故に、即ちこれ不生にして生じ、生にして不生なり。無相の相は相常に無相なり。甚深微妙にして了知すべきこと難し。諸仏秘密の印なり。妄りに宣示せず。・・」といっている。大日経に「心続生の相は諸仏の大秘密なり」というのは、一心の自性は一切の妄念を離れあたかも浄虚空のように純一無相、不生不滅であって常住の体である。しかも因縁によって種々の心相を生ずる。だから念々が本源的起動である。即ち分別の妄念を離れ直に一心の自性に住すれば念々が常住不生の仏心の起動である。浄心の相続であるという秘義である。・・弘法大師はこの八心三劫の心続生の法門により十住心を開演された。すなわち心続生を十箇の法門として宣揚された。
次に大日経では第一問の「菩提心生」の略答がある。菩提心生とは浄菩提心の出生する義を明かすものである。大日経に「百六十心を超えて広大の功徳を生ず。その性常に堅固なり。彼れ菩提生なりと知るべし。」といい大日經疏に「行者最初に金剛宝蔵を開発するとき、この心性は浄虚空の如く、諸の数量を超えたりとみる。そのとき因業の生を離れて佛樹の芽生ず。この芽生ずる時に、すでに法界に遍ず。・・破すべからず。猶し閻浮檀金のよくその過悪を説くことなきがごとし。故にその性、常に堅固という。」大日経には衆生の一切分別の妄念を百六十心として説き、この分別の妄念を離れたとき、あたかも乳が精錬されてすべての滓穢がとりのぞかれ純な醍醐が生ずるように浄菩提心体すなわち本有の覚性顕現し、真に生死の生を離れて如来常住の生を得る。・・・
さきの九問の順序にこだわらず、大日経では最初に第三問心続生の意味を説かれる。大日経に「心続生の相は諸仏の大秘密なり。外道は知ることあたわず」とあり、大日經疏に「心続生の相とはこの心は畢竟常浄にして猶し虚空の一切の相を離れたるが如くなりといえども而も亦、因縁より起こして心相生ずることあり、・・當に知るべし。この心は縁より生ずるが故に、即ちこれ不生にして生じ、生にして不生なり。無相の相は相常に無相なり。甚深微妙にして了知すべきこと難し。諸仏秘密の印なり。妄りに宣示せず。・・」といっている。大日経に「心続生の相は諸仏の大秘密なり」というのは、一心の自性は一切の妄念を離れあたかも浄虚空のように純一無相、不生不滅であって常住の体である。しかも因縁によって種々の心相を生ずる。だから念々が本源的起動である。即ち分別の妄念を離れ直に一心の自性に住すれば念々が常住不生の仏心の起動である。浄心の相続であるという秘義である。・・弘法大師はこの八心三劫の心続生の法門により十住心を開演された。すなわち心続生を十箇の法門として宣揚された。
次に大日経では第一問の「菩提心生」の略答がある。菩提心生とは浄菩提心の出生する義を明かすものである。大日経に「百六十心を超えて広大の功徳を生ず。その性常に堅固なり。彼れ菩提生なりと知るべし。」といい大日經疏に「行者最初に金剛宝蔵を開発するとき、この心性は浄虚空の如く、諸の数量を超えたりとみる。そのとき因業の生を離れて佛樹の芽生ず。この芽生ずる時に、すでに法界に遍ず。・・破すべからず。猶し閻浮檀金のよくその過悪を説くことなきがごとし。故にその性、常に堅固という。」大日経には衆生の一切分別の妄念を百六十心として説き、この分別の妄念を離れたとき、あたかも乳が精錬されてすべての滓穢がとりのぞかれ純な醍醐が生ずるように浄菩提心体すなわち本有の覚性顕現し、真に生死の生を離れて如来常住の生を得る。・・・