衆生の業により宇宙は有為転変の姿を現すとすれば、まず「懺悔」が不可欠です。古来多くの祖師が懺悔の大切さを述べておられました。まず善導大師の「往生礼讃」です。
「懺悔に三品あり。上・中・下なり。上品の懺悔とは、身の毛孔のなかより血流れ、眼のなかより血出づるものを上品の懺悔と名づく。中品の懺悔とは、遍身に熱き汗毛孔より出で、眼のなかより血流るるものを中品の懺悔と名づく。下品の懺悔」とは、遍身徹りて熱く、眼のなかより涙出づるものを下品の懺悔と名づく。これらの三品差別ありといへども、すなはちこれ久しく解脱分の善根を種ゑたる人なり。
(善導「往生礼讃」) 」
懺悔には上・中・下の三種類がある。上品の懺悔は、身の毛孔のなかから血が流れ、眼の中から血が出る。中品の懺悔は、熱い汗が全身の毛孔から出、眼の中には血が流れる。下品の懺悔は、全身が熱く、眼のなかから涙が出る。三品に差があるが、このような懺悔であれば久しく解脱分の善根を得る。・・自分も人生を振り返って懺悔して身の置き所のない気持ちになることもあります。しかし善導大師は「身の置き所のないような懺悔でもまだまだ足りない」とおっしゃっているのです。
現代人は懺悔どころか反省すらしない薄っぺらな人種になってしまいました。
「懺悔に三品あり。上・中・下なり。上品の懺悔とは、身の毛孔のなかより血流れ、眼のなかより血出づるものを上品の懺悔と名づく。中品の懺悔とは、遍身に熱き汗毛孔より出で、眼のなかより血流るるものを中品の懺悔と名づく。下品の懺悔」とは、遍身徹りて熱く、眼のなかより涙出づるものを下品の懺悔と名づく。これらの三品差別ありといへども、すなはちこれ久しく解脱分の善根を種ゑたる人なり。
(善導「往生礼讃」) 」
懺悔には上・中・下の三種類がある。上品の懺悔は、身の毛孔のなかから血が流れ、眼の中から血が出る。中品の懺悔は、熱い汗が全身の毛孔から出、眼の中には血が流れる。下品の懺悔は、全身が熱く、眼のなかから涙が出る。三品に差があるが、このような懺悔であれば久しく解脱分の善根を得る。・・自分も人生を振り返って懺悔して身の置き所のない気持ちになることもあります。しかし善導大師は「身の置き所のないような懺悔でもまだまだ足りない」とおっしゃっているのです。
現代人は懺悔どころか反省すらしない薄っぺらな人種になってしまいました。