地蔵菩薩三国霊験記 12/14巻の5/6
五、僻む者は必ず罰を蒙る事
伊賀國河井と申す旁に(河合村は三重県阿山郡にあった村。現在の伊賀市の北部)藤原則春(のりはる)と云ふ有徳の仁あり。本は京都の高家の人にてありけれども乱世にをちぶれて地下に交りけるこそ本意なきことなり。されば源遠くなるままに末孫は土民の縁となる。然りと雖も一跡の地頭となるほどに公方にも知られたる人にぞ侍りける。されば心賢くして現当二世を悟りければ来世の報をも慎みけるほどに、一宇の堂舎を建立して本尊は遍身の地蔵菩薩立像にてぞありける。私領三町あまりを分けて寺領に寄進して浄行持律の沙門を請じて別当職を定め玄蔵房の法印嘉尊とぞ申しける。有智高行の碵徳勤行持律の僧たりき。本より世間出世の知事、宏才優長の人にて佛法興隆事ばかりをめぐらしなすときは塵を結んで縄とし、石を砕き砂にしける方便をぞ巧みけるほどに、件の寄附の田地を耕作して衆徒をも数多育(はぐくみ)度く思立て耕作しけるほどに、彼の田は本と公田にて侍りけるを(鎌倉時代・室町時代においては、公による検注を経て大田文によって確定された「定公事田(定田)」を指した。定公事田は所領中の一定割合の範囲を指し、特定の田畑を指すものではなかったが、所当官物・御家人役・一国平均役・段銭などの賦課基準とされた。)当所の代官為宗が預所にしければ(本所・領家などの荘園領主の代理人として、下司・公文などの下級荘官を指揮して、荘地・荘民・年貢などの管理をした。この職には、領家の腹心者が任命される場合と、開発した荘地の管理権を掌握しながら、荘地を領家に寄進して、管理権を安堵されるかたちで任命される場合がある。)昔は土貢も巨多なりけるをとかく申しをとして下田の名を(地味がやせていて収穫の上がらない田地)呼びつけて内々私領と思て秘蔵しけるを主人不日に寺領となさるる事を為宗遺恨に思つつとかく遺乱を成しけれども法印夢にも用ひずして耕作して上品の好田(高収穫の田)にぞしける人々申しけるは寺領となれば神も守りたまひてこそ如是に上田とはなるらんとぞ申しける。為宗いよいよ憤り所詮人集めて彼の田を刈り捨て、法師を打ち殺して除きける。若し陰謀顕れなば主人則春を怨みしに難かるべきかとぞ巧て、内々人をたのみける。法印は聞きけれども主人の本領たる上は仔細なしと思て少しもさわがざりけるが、九月上旬に俄かに霖雨三四日車軸を流しけるほどに一夜に洪水岸をくずす。件の寺領片時に河原とぞなりける。是を見て為宗宿怨忽ちに止て害心即ち止(とどまり)佛智の照覧にも末怖ろしきことどもなり。法印は彼の田の流るるありさまを見玉ひていよいよ観行の縁となりて菩提心殊に進み玉ひけり。喩ばつぼめる花の風に落とされ盛の者の病のために失せぬる奇特これに異なることなし。變易生死(菩薩や阿羅漢などが、三界の輪廻を超えた身をもって、その願力によって肉体や寿命を自由に変え、この輪廻の世界に現われて受ける生死のこと。)のありさまに至るまで観じ入り玉ひて涙を流し玉へば世俗の心なきは稲の失せぬることを歎きて落涙し玉ふと思けるは、大なる失なり。法印根堂に参り本尊に向て端座し鐘打鳴らし申しけるは、敬て白す、沙門嘉尊が胸中には三業清浄の月明にして胎金一如の観をこらし、遮那唯心の位を證し無差平等の行人たり。諸天何ぞ捨て玉はん。仍って願ふ所は名利の為にあらず佛法興隆の冥慮にいかでか應ぜざらんとて鐘打ち鳴らし願文を挙げ玉へり。帰命頂礼三劫三千の諸佛菩薩現座道場の大地蔵薩埵、無数の眷属諸冥官等悉知證明を垂れ玉へ。夫れおもんみれば沙門嘉尊忝くも両部の流れを汲みて三業の垢を清め一心清浄の真を修して不二唯心の観を成す。爰に法印私の為に企るところの稲の業にあらず、佛力法力ともに行者を加護しましまさば何ぞ竜神の為に佛の田代を破られ玉ふや。況や彼の田を耕し数石の米を求ることは具に伽藍を興隆し僧衆養育の謀なり。全く一分の私儲にあらず。佛力何の為に弱く、水天何ぞ神力をたくましくして彼の田代を没し玉へるや。假命佛力法力共に平等三昧に入給ふとも守護神などか護持の心を忘れて強(あながち)に好田を白河原とはなし玉ふ、嘉尊敬白す、とぞ唱て洞然として無言三昧に入り玉ふ。夢の如くして沙門一人来たり玉ひ法印に向て自ら汝を加護すること喩へば形にしたがふ影のごとく、正に放捨することなし。彼の田は流るに似たれども米穀恙あるべからず。彼の水難を現ぜずんば輪廻生死の根源たるべし。尚以て不審にあらば佛前に待ち玉へ、其の瑞を現ぜんとの玉ひてかくれ玉ひぬ。法印疑念はなけれども輪廻となるべきとは何事にてありつらんと不思議に思て住僧一人召し具して損田の旁に至り見ありき玉へば稲少々に村立ちて此かしこの河岸にありけるを取り聚めさせける所に下衆法師の強力げに見へたる者一人来て申しけるは此の如き事仕奉りまいらせんとて走り回て稲を取り集め一人當ちにぞふるまひける。おさむる所の稲は此に少しばかりなれども各々一石ほつ゛つと見へし所々とりあつめて百石の米をぞ納めける。向後御用のことなんあらば召仕申さんとて何方ともなく失せにける。誠に地蔵の哀愍の御方便とぞ覚へ法師も住僧もいよいよ信をぞ取けり。又或時雑人群聚をなす中に不思議の狂人ありけるが、種々の事を申すを能く見れば当所の代官為宗にてぞありき。あさましく思ひ玉へば法印佛力を以て加持し玉へども自業自得のことはりか終に狂死にけり。法印此の由を見て是ぞ輪廻の根本とぞ覚玉ひけり。あはれ未来のほど不憫に思し召しければ光明真言九條錫杖なんど御廻向ありけるこそ有難ぞありける。されば古人の智者の敵とは成るとも愚者の友とはなるべからずと、げに尤もとぞ彼の為宗あやまりて欲心厚く根性拙くして主命を背き三宝を軽しめしゆへに忽ち罰を蒙りける。僻み曲がるもの一端天のとがめなきに似れども果たして其の責めにあずかりける。假命口に唱ることなくとも、心に此の名号を誦し真に信あらば佛必ず意趣を鑑みて加護をなし玉ふべきものなり。真に正直の心をたしなみ玉はば佛神守護ありて、今世御世能く引導し玉ふべきなり。凢そ主の命をそむく科、四恩を破る其の一なり。されば堅牢地神もこれを悪み玉ひて現の果いかでよかるべきや。つひに迷慮の底に入なんこと疑なし。就中地蔵菩薩は八幡三所には東宮として其の一所にてありければ(石清水八幡宮の西宮の本地が地蔵菩薩とする説あり)正直の頭にやどり玉はんとの御誓なり(十訓抄「八幡大菩薩、正直の者の頭にやどらんと誓はせ給」)僻める人は件の如き罰を受べきなり。本地と云ひ垂迹と申し、直心を以て人を守り玉ふべきなり。さればこそ正直を柱として信力を土地とせんに何ぞ地蔵の住み玉はざるべきや。誑惑のはしらを立て貪欲の板を以て葺かん家にいずれの八幡か宿り玉ふべきや。纔なる利に迷て莫大の益をうしなふこと、あさましきことならずや。願くは為宗が心に向ひ玉はず直心を以て心珠を琢玉ふべきなり。恐るべし恐るべし。
引証。地蔵經に云、是れ得、是れ失。不善念を起し、諸悪業を造り六趣に輪廻す。生生の父母、世世の兄弟、悉く佛道を成ぜしめて後、我成仏せん。若し一人を残せば我成仏せず(仏説延命地蔵菩薩経)。