「神も聖もみ仏も みなこの道に由りたもう
これぞ真実の道なれば この道撥無(ほつむ)するなかれ
妻子珍宝及王位 死出の旅路の共ならず
唯この戒の功徳のみ 身に添う三世の友ぞかし」
前説せる如く此の十善戒は法性自爾の道徳にして人道の基礎萬善の
根本にして、我等衆生が今日作為する所の微小の善業に到るまで此の
十善戒の功徳の外ならざるはなし。
故に此れ理に戻り、この道を撥無する者は神ながらの道に戻り天理
を誤り、因果を破滅するものなれば必ず禍其の身におよばんこと
谷の響に応ずるが如し。
一切世間の萬法は皆生滅無常にして一物として常住不変のものあること
なし。緑鬢は変じて白髪となる。愛愛たる妻夫も前後して黄泉の客となり
親親たる父兄も子女も悉く寒林の煙を免れず。
死門は歩に随って逼ること、屠所に引かるる羊の如し。然るにこの無常の
世界に処し、此危脆の身体を以って徒に名利を争い我欲を縦(ほしいまま)
にして未来の懼るべきを覚らず。
一息絶えぬる時に当たっては、妻夫、子女、親縁も生死の迷執
を繋ぎ、金品、資産、財宝は還って迷途の闇迷を増す怨讎(おんしゅう)
となる。冥冥たる前途に随うもの実に一物もなし。
此の有り様は男女、貧富、賢愚、強弱の別なく、唯現世における
貪、瞋、痴等無量の行業のみありて、我を引いて冥冥たる悪趣に導く。
されども此の業果は父母、妻子も代わりて荷負する能ず己れ自ら負担
せざるべからず。泣けども涙落ちず叫べども聞く者無し。
ここに今十善戒法の功徳のみあって此黒闇の永夜を照らし此の悪業
の磐石を砕くきて我が死出の旅路を助くる導師となる。此処に至れば
百億の資産も一日不殺生戒の功徳に如かず、位階世栄も一粒施行の
慈善に如かず、と、まことに万事なげうって奉ずべし。
十善戒和讃全文「 帰命頂礼 十善戒、 十方三世の諸如来の三十二種の妙相もこの浄戒を種因とす。戒定智慧も三密も三十七の道品も身三口四と意三より 皆生じたる功徳なり。世間諸善の根本にて人の人たる道なれば、出家在家も持つ(たもつ)べく老若長幼奉ずべし 。龍樹菩薩の教誡に 仏果を期して戒なきは、渡りに船のなき如く 到るを得じと、のたまえり。昔、比丘あり、行く道に渇きに迫り水を得て、蟲の命をあわれみて 死して道果を得たりけり。また八才の少沙弥の、水の流れて蟻穴に入るを救いし功徳にて 夭死転じて長寿せり。また、毘舎伽母の指の輪の 落ちて入江に沈みしも、元の指端に還りたるためしは実にいなまれず。影勝王の像の子の産に臨みて悩みしを牧牛の女の操もて、誓いて分娩せしめたり。斑足王の猛悪も 実語のとくに感悟して、九十九余の命をも放ちて道に入りにけり、言辞弁舌明瞭に生まれし種(もと)は不綺語なり。時候和順に資産富み 草木さえ皆色ぞ増す。人天中に香はしきものは善語に過ぐるなし。妻子眷属和悦して上下人心、皆服す。主従和睦違わぬは 不両舌語の功徳なり。親好厚く和敬せば これぞ菩薩の心なる。足ることを知る人の身は 地上に臥すも浄土なり。 己をせめて施せよ、多欲は餓鬼の種因なり。世を乱し、身を滅ぼすは皆一朝のいかりなり。一切男女は過去の父母、とか一子の慈悲を運ぶべし。八正の道広けれど 邪見の人ぞ踏み迷う。己が顔貌智慧技量 皆善悪の影ぞかし。神も聖もみ仏も みなこの道に由りたもう。これぞ真実の道なれば この道撥無するなかれ。妻子珍宝及王位 死出の旅路の共ならず。唯この戒の功徳のみ 身に添う三世の友ぞかし。百歩の間持(たも)つすら 仏になるとのたまえば、萬行中の易行なり 唯 ひたすらに守るべし]