11、渡唐祈願・・大師三十一歳、(延暦二十三年西暦八百四)・・
・再度山大龍寺(神戸市中央区)、大師はこの六甲山頂の再度山大龍寺に求法成就祈願されたとされます。大同元年に無事帰国されたのち当山に再度参籠され七日間秘法を勤修されました。大師が再び登山されたというので「再度山」と呼ばれるようになり、修法された場所を「修法ケ原行場」と呼ぶようになりました。(弘法大師空海の御足跡等)
・宇佐八幡宮(大分県宇佐市南宇佐)、このころ大師は宇佐八幡にも参詣され心経百巻を納められています。(弘法大師空海の御足跡等)
・賀春大明神(福岡県田川郡香春町殿町)、「大師御入唐の時、海上護衛の為に宇佐の八幡宮を始め奉りて、有勢の明神に祈請ありしに、豊前国賀春大明神、詫して宣く、『聖人、法を重くし、命を軽くして、遂に大唐の境に赴く。是誠に然るべし。願わくは吾、聖人に随いて共に入唐して、必ず護持すべし」と。・・・(大師帰朝の時、香水(こうずい)を加持して巌岳に注ぎ給ひしかば樹木忽ちに生い連なりて、千株万株の松の緑は霜雪にも映えて見え、・・)(弘法大師行状絵巻)」
・再度山大龍寺(神戸市中央区)、大師はこの六甲山頂の再度山大龍寺に求法成就祈願されたとされます。大同元年に無事帰国されたのち当山に再度参籠され七日間秘法を勤修されました。大師が再び登山されたというので「再度山」と呼ばれるようになり、修法された場所を「修法ケ原行場」と呼ぶようになりました。(弘法大師空海の御足跡等)
・宇佐八幡宮(大分県宇佐市南宇佐)、このころ大師は宇佐八幡にも参詣され心経百巻を納められています。(弘法大師空海の御足跡等)
・賀春大明神(福岡県田川郡香春町殿町)、「大師御入唐の時、海上護衛の為に宇佐の八幡宮を始め奉りて、有勢の明神に祈請ありしに、豊前国賀春大明神、詫して宣く、『聖人、法を重くし、命を軽くして、遂に大唐の境に赴く。是誠に然るべし。願わくは吾、聖人に随いて共に入唐して、必ず護持すべし」と。・・・(大師帰朝の時、香水(こうずい)を加持して巌岳に注ぎ給ひしかば樹木忽ちに生い連なりて、千株万株の松の緑は霜雪にも映えて見え、・・)(弘法大師行状絵巻)」