Q,寺院に鎮守社を設ける根拠は?
A,四部律に「伽藍の中に神屋を立つ」とあり、佛陀羅尼経儀軌には「四方の鎮守護法善神」とあります。
日本で本地垂迹説が現れる前、そもそもインドで寺院に鎮守社をつくることがおこなわれていたのです。お大師様の場合も、高野山は丹生、高野両明神により寄進されており、また東寺にもお稲荷様を勧請されています。弘法大師行状絵巻に「(弘仁十四年四月十三日)彼の紀州の化人、稲を荷い杉を持ちて両婦を伴い二子を率いて、東寺の門に来たり、・・大師利生の勝地を定めて一七日間、法によりてぞ鎮壇したまひける。今の稲荷のやしろこれなり。・・」とあります。そして明治までは神仏一体で、神社と寺は一緒の処に建てられ一緒にお祀りされてきました。本地垂迹にしろ神本佛迹にしろ印度の時代から地主神と仏は一体と考えられてきました。是を無理やり分けた明治以来日本の歴史はおかしくなり始めたのです。
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