福聚講(高原耕昇講元)では、12月8日(土)午後3時30分から、東京・文京音羽の神齢山・護国寺で、定例の参拝、読経会を行いました。この日は、釈尊の成道会でもあり、参拝は、記念すべき、意義のあるものとなりました。特にこの日境内で老人がつまずいて倒れ額から流血していたのを福聚講の皆さんが助け起こして介抱し、送っていったのはなにかご本尊の如意輪観世音様からの暗示のような気がしました。そういうハプニングで開始が少し遅れましたが、仕事の都合などで、参加出来ない人たちも、この日はことし最後の定例会とあって、18人集まり、勤行式にのっとり、懺悔文、三帰礼文,十善戒、発菩提心真言、三昧耶戒真言、心経、観音経、諸真言、ご宝号などをお唱えしました。いつもとは違った有り難い「雰囲気」です。
大勢で、読経する時は、自然に、声にも力が入り、気持ちにも、お互いに、心を通い合わせる連帯感を感じるものです。
この定例会は、福聚講のメインのイベントとして、一か月の一度、護国寺に、参拝して、ご本尊の如意輪観音様に、祈念する行事として、高原講元様が、導師となって、行われているものです。参拝の後は、高原講元を囲んで、講員が、めいめいの思うことを質疑応答のひと時を過ごし、学ぶことの多い参拝になっています。
読経の後、高原講元様のご指導で、瞑想・座禅をしました。12月とあって、本堂は、さすがに、参詣者は、少なく、静寂の中に、時折、本堂の外で、賽銭を賽銭箱に入れる、効果の音が、鋭く聞こえるだけでした。
参拝が終わると、そのまま、東京・大手町の高層ビルの地下の居酒屋に移動して、福聚講の納会・懇親忘年会が、催されました。ここでは、新人も含めさらに4名後から合流して、盛会となりました。
世話人の中塚さんが見つけたこの居酒屋は、「四国味遍路88屋」といい、さすが、世話人ならではの会場の選択でした。納会では、高原講元様の発案で各自のことし一年間に受けた「お蔭」を発表しあいました。
皆さん、思い思いの話をしましたが、如何せん、当報告者は老体で、耳が悪いせいか、聞き取れなかつた方も多かったのですが一部聞き取れたところのみを書き出しておきます。「職場で希望のセクションに移動できた。」「会社で仏教関係の特集号を組むことになり希望するとそこの担当に起用された。」「20年近く親のことを拝んできたがやっと完璧にお蔭をいただいて親が墓参りをしてくれた」等。ありがたい話を聞くことができました。
報告者は当日十分に胸の内を話すことができなかったので、ここで自分の一年の信仰生活を懺悔しながら書いてみようと思います。
ことしは、福聚講の月例定例霊場参拝で、関東三十六不動尊巡拝として、8月、成田山をお参りして、昨23年1月から始めた、お不動様巡拝の行事を、無事、結願することが出来ました。一方、私は、5月、弘法大師ゆかりの霊跡巡拝で、九州古寺[福岡・南蔵院、雷山千如寺大非王院、東長寺、熊本・阿蘇神社、佐賀・蓮華院誕生院、祐徳稲荷神社、誕生院(興教大師様がご生誕された寺といいます)、長崎・渡唐大使尊像、最教寺、福岡・成田山久留米分院}を回り、9月、坂東三十三観音霊場(栃木地方)巡拝、そして、10月、四国八十八箇所遍路巡拝で、24番札所・最御崎寺から、43札所・明石寺と、番外の十夜ヶ橋寺[高知・愛媛]までを、お参りしてきました。
特に、四国の遍路巡拝では、一度は、よく耳にする八十八箇所めぐりをしたいと思いつつ、これまでは、願叶えられることが出来なかったのですが、やつと、御縁が出来て遍路巡拝する事が出来たのです。この巡拝は、春の徳島の札所巡りに続いて二回目でしたが、正直言って、一回目ほどの感動は有りませんでした。
また、遍路巡拝が、高原講元様が、著述された、「四国八十八所の霊験」(ブログでも今連載中です)に書かれてあるような、心を揺さぶる感動や、深い霊験を感得する法悦、思いがけない奇蹟を体験された事等、殆ど私にはなく、「ああ、私には、信心が足り無いのか?信仰しているつもりだが、殆ど、血肉になっていない。ただ、上滑りしている。こんなことをしていていいのだろうか」と、痛恨の感慨に襲われ続けるのでした。
高原講元様のような体験と信仰を深めたいと思えば思う程、これまでの様な、素朴に、仏様のお力を期待する事が、出来ず、仏様から、戴けるであろう感動や、確信はなく、ただ、虚しい、渇きに喘いだ荒んだ心になっていました。「どうしたら、仏様の力を、実感し、ゆるぎない信仰の世界が持てるようになるのか」
遍路巡拝中の疑問が、私をとらえて、離れません。巡礼中、ガンを患つて入院加療している知人たちの當病平癒を懸命に祈願しました。が、ある知人は、四国で祈願している最中に、亡くなりました。「やっぱり駄目か」。こんな不条理で空虚な気持に突き落とされ、どうしたらよいのか、いよいよ不信が募ります。
いま、私は、自ら励まし、気を落ち着かせながら、それでも、一筋の細い細い明かりを求めてこの光に縋りつこうと努力を続けています。信仰生活を習慣化するため、兎に角ヤルシカないのだというところにまで来ています。
考えると、これは、やはり、高原講元様との仏縁で、まだまだ、未熟ではあるものの、四国巡礼に出てゆくことの決心が出来たこと。古寺巡礼を訪ねる発心の動機、そして、仏様からの、細いながらも、霊妙な信心を感じさせられること、仏縁を大切にすることなど、沢山の、冥加を戴いていることに気付き、感謝しています。有難いことです。また、講員の皆さんと、お顔を合わせることも、心を和やかにされます。いい方ばかりですから。こうした事情で、高原講元様に、素直に、巡礼報告をすることを憚れ、遠慮している自分が、情けない思いをしていたものです。カトリック信仰では、「告解」というのがありますが、今回の、報告は、それに準じたものになってしまいました。相済みません。
私がいま、生きて暮らしている生活環境は、政治も経済も、文化も社会もすべて、不透明な将来の希望を抱かせる明るさが無く、欲望と、虚飾に満ちた混沌とした、閉塞感漂う世界だと思います。聖徳太子が、言われたように、「世間虚仮」というのが、実感的社会「感」と感じます。どうにもならない閉塞感の中で、これからどう生きてゆかねばならないか?やはり、聖徳太子の「唯仏是真」でしかないと思って、出来ない信心の努力を続けるほか生きるすべはないようです。宜しく、ご指導のほど、お願いたします。
来年は、高原講元様始め、講員の皆様、このブログを閲覧されている皆様にとって、いい年でありますように、祈念しましょう。(K・T記)
大勢で、読経する時は、自然に、声にも力が入り、気持ちにも、お互いに、心を通い合わせる連帯感を感じるものです。
この定例会は、福聚講のメインのイベントとして、一か月の一度、護国寺に、参拝して、ご本尊の如意輪観音様に、祈念する行事として、高原講元様が、導師となって、行われているものです。参拝の後は、高原講元を囲んで、講員が、めいめいの思うことを質疑応答のひと時を過ごし、学ぶことの多い参拝になっています。
読経の後、高原講元様のご指導で、瞑想・座禅をしました。12月とあって、本堂は、さすがに、参詣者は、少なく、静寂の中に、時折、本堂の外で、賽銭を賽銭箱に入れる、効果の音が、鋭く聞こえるだけでした。
参拝が終わると、そのまま、東京・大手町の高層ビルの地下の居酒屋に移動して、福聚講の納会・懇親忘年会が、催されました。ここでは、新人も含めさらに4名後から合流して、盛会となりました。
世話人の中塚さんが見つけたこの居酒屋は、「四国味遍路88屋」といい、さすが、世話人ならではの会場の選択でした。納会では、高原講元様の発案で各自のことし一年間に受けた「お蔭」を発表しあいました。
皆さん、思い思いの話をしましたが、如何せん、当報告者は老体で、耳が悪いせいか、聞き取れなかつた方も多かったのですが一部聞き取れたところのみを書き出しておきます。「職場で希望のセクションに移動できた。」「会社で仏教関係の特集号を組むことになり希望するとそこの担当に起用された。」「20年近く親のことを拝んできたがやっと完璧にお蔭をいただいて親が墓参りをしてくれた」等。ありがたい話を聞くことができました。
報告者は当日十分に胸の内を話すことができなかったので、ここで自分の一年の信仰生活を懺悔しながら書いてみようと思います。
ことしは、福聚講の月例定例霊場参拝で、関東三十六不動尊巡拝として、8月、成田山をお参りして、昨23年1月から始めた、お不動様巡拝の行事を、無事、結願することが出来ました。一方、私は、5月、弘法大師ゆかりの霊跡巡拝で、九州古寺[福岡・南蔵院、雷山千如寺大非王院、東長寺、熊本・阿蘇神社、佐賀・蓮華院誕生院、祐徳稲荷神社、誕生院(興教大師様がご生誕された寺といいます)、長崎・渡唐大使尊像、最教寺、福岡・成田山久留米分院}を回り、9月、坂東三十三観音霊場(栃木地方)巡拝、そして、10月、四国八十八箇所遍路巡拝で、24番札所・最御崎寺から、43札所・明石寺と、番外の十夜ヶ橋寺[高知・愛媛]までを、お参りしてきました。
特に、四国の遍路巡拝では、一度は、よく耳にする八十八箇所めぐりをしたいと思いつつ、これまでは、願叶えられることが出来なかったのですが、やつと、御縁が出来て遍路巡拝する事が出来たのです。この巡拝は、春の徳島の札所巡りに続いて二回目でしたが、正直言って、一回目ほどの感動は有りませんでした。
また、遍路巡拝が、高原講元様が、著述された、「四国八十八所の霊験」(ブログでも今連載中です)に書かれてあるような、心を揺さぶる感動や、深い霊験を感得する法悦、思いがけない奇蹟を体験された事等、殆ど私にはなく、「ああ、私には、信心が足り無いのか?信仰しているつもりだが、殆ど、血肉になっていない。ただ、上滑りしている。こんなことをしていていいのだろうか」と、痛恨の感慨に襲われ続けるのでした。
高原講元様のような体験と信仰を深めたいと思えば思う程、これまでの様な、素朴に、仏様のお力を期待する事が、出来ず、仏様から、戴けるであろう感動や、確信はなく、ただ、虚しい、渇きに喘いだ荒んだ心になっていました。「どうしたら、仏様の力を、実感し、ゆるぎない信仰の世界が持てるようになるのか」
遍路巡拝中の疑問が、私をとらえて、離れません。巡礼中、ガンを患つて入院加療している知人たちの當病平癒を懸命に祈願しました。が、ある知人は、四国で祈願している最中に、亡くなりました。「やっぱり駄目か」。こんな不条理で空虚な気持に突き落とされ、どうしたらよいのか、いよいよ不信が募ります。
いま、私は、自ら励まし、気を落ち着かせながら、それでも、一筋の細い細い明かりを求めてこの光に縋りつこうと努力を続けています。信仰生活を習慣化するため、兎に角ヤルシカないのだというところにまで来ています。
考えると、これは、やはり、高原講元様との仏縁で、まだまだ、未熟ではあるものの、四国巡礼に出てゆくことの決心が出来たこと。古寺巡礼を訪ねる発心の動機、そして、仏様からの、細いながらも、霊妙な信心を感じさせられること、仏縁を大切にすることなど、沢山の、冥加を戴いていることに気付き、感謝しています。有難いことです。また、講員の皆さんと、お顔を合わせることも、心を和やかにされます。いい方ばかりですから。こうした事情で、高原講元様に、素直に、巡礼報告をすることを憚れ、遠慮している自分が、情けない思いをしていたものです。カトリック信仰では、「告解」というのがありますが、今回の、報告は、それに準じたものになってしまいました。相済みません。
私がいま、生きて暮らしている生活環境は、政治も経済も、文化も社会もすべて、不透明な将来の希望を抱かせる明るさが無く、欲望と、虚飾に満ちた混沌とした、閉塞感漂う世界だと思います。聖徳太子が、言われたように、「世間虚仮」というのが、実感的社会「感」と感じます。どうにもならない閉塞感の中で、これからどう生きてゆかねばならないか?やはり、聖徳太子の「唯仏是真」でしかないと思って、出来ない信心の努力を続けるほか生きるすべはないようです。宜しく、ご指導のほど、お願いたします。
来年は、高原講元様始め、講員の皆様、このブログを閲覧されている皆様にとって、いい年でありますように、祈念しましょう。(K・T記)