福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験その74

2014-07-13 | 四国八十八所の霊験
スウエデンボルグは「霊界通信」でパウロ、ルターなど信仰のみで行動を軽んじたキリスト教界のおおくのリーダーが地獄におちていたと書きました。

 東南アジア諸国の上座部仏教国には、地域や貧窮する人々の救済に努め、心の開発を行う「開発僧」がいます。台湾の慈済も有名です。14番常楽寺も孤児院を経営していました。(私も老人ホームや障害者施設でボランチアのまねごとをやったことがありますがここで全盲の人が音だけでテニスができ、しかも剛速球を打つことができることを目の当たりにして大きな教訓を得ました。東日本大震災のボランチアも数回行きました。その後は少額の義援金の寄付をしたり、平成26年には毎日市街地のゴミ拾いを続けていますが隔靴掻痒の感がぬぐえません。)

 大乗戒の三聚浄戒(摂律儀戒、摂善法戒、摂衆生戒)でいう摂衆生戒、密教の四重禁戒(不応捨正法戒、不捨離菩提心戒、不応慳悋正法戒、不応不利衆生行戒)でいう不応不利衆生行戒 はまさにこのことです。    

 おおくのお経にも具体的救済活動が大切とあります。
・道教の太上感応編にも、一日三善して三年たてば必ず福が来るとしています。「・・諸悪莫作、衆善奉行、久しくして必ず吉慶を獲る、所謂災いを転じて福となす也。故に吉人よきひとは善を語り、善をおこなう。一日ごとに三善あれば三年にして必ず天これに福を降す。凶人わるきひと悪を語り悪を行う、一日ごとに三悪あれば三年にして天必ずこれに禍をくだす。なん勉めて之を行はざる。(太上感応編)」とあります。

ましてや仏教経典には無数に出てきます。
・「小慈はただ心に念じて衆生に楽を与えんとするもじつには楽事なし。小悲は衆生の種々の身苦・心苦を観ずるになずく。(それはただ衆生を)憐みんするのみにて(苦より)脱せしむることあたわず。大慈は衆生をして楽をえしめんと念じ、(じっさいに)楽をあたう。大悲は衆生の苦を憐みんし、またよく苦を脱せしむ。」(大智度論)
・「大慈悲をもって一切衆生の苦悩を観察して応化の身を示す。生死の園・煩悩の林のなかに廻入して神通力に遊戯す。」(浄土論)

・お大師様の秘蔵宝鑰にも「仏教は人々に悪を離れ善をおこなうことを具体的に教えて幸福に導く、これを諸仏は守り多くの利益を与える。(悪を断ずるがゆえに苦を離れ、善を修するが故に楽を得、僧尼あるが故に仏法絶えず、仏法存するが故に人みな眼を開く。眼明らかにして正道を行ず。
・・・教法のあるところ諸仏護念し諸天守護す、かくのごとくの利益あげてかぞふべからず・・・)」とあります。

・大日経には有名な三句の法文があります。「菩提心と大悲の上にたち究極的には具体的救済活動をおこなうことが最終目的(菩提心を因とし大悲を根とし方便を究境となす)」と書いています。「」

・そして究極の方便(具体的救済活動)としてお大師様は「衆生や宇宙がなくなるまで衆生の救済にあたってやろう(衆生尽き、虚空尽き、涅槃尽きなばわが願いも尽きなん(性霊集))」とおっしゃって高野山奥の院に入定されました。ここにわれわれがお蔭をいただくもとがあるのです。

 このお大師様の請願をいただき、人のため祈ることも含めお大師様の末資として具体的救済活動に動いていくことが自分自身の救済にもなるのではないかと思いいたりました。

与謝野晶子は
「劫初よりつくりいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ」
とよみました。

慈雲尊者は陰徳を積んでないものが贅沢な境涯を享受していると必ず不詳がおこるといっています。飽きることなく資源を浪費しているわれわれのことです。
「房屋その制度をすぐる、必ず禍を招く。衣服の分、刀剣の飾り、車馬の装い、みな準じしるべし。智勇世をおおふ、容貌衆に異なる、名称のひろく達する、才芸の他に超ゆる等、その慎しみを忘るべからず。その徳ありてその位にをる、その功ありてその禄をはむ、譲をうけてその家に主たる、幸いに遭うてその財にとむ、もしおごる心あればこれもなきにしかず。(人となる道)」
 
 石手寺では人々に見守られた遍路の「桃水さん」は大変居心地よさそうでした。

 「桃水の山門をでる春霞」(行者)

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