福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

関口さんの「三重塔と五重塔の違い如何」との質問のお答え。その1

2010-06-24 | Q&A
関口さんから以前「三重塔と五重塔の違い如何」との質問を受けていました。一応の調べが出来たので載せます。
仏教大辞典、密教大辞典、仏教考古学論攷(石田茂作)、大蔵経データベースにより以下のように整理してみました。

1、 まず塔一般の起源、意味、功徳についてです。
塔は佛在世中からその徳を慕って造立せられ、涅槃後はお舎利を元に八大霊塔が立てられています。
(・玄応音義第七『宝塔、他蓋の切。諸経論の中に或は藪斗婆に作り、或は塔婆に作り、兜婆と云ひ、或は・・・といふも皆訛略なり。正しくは窣覩婆といふ。此に訳して廟と云ひ、或は方墳と云ふ。此れ義訳なり。・・』十誦律第五十六に須菩提長者が佛の髪爪塔を造ったことを記し『給孤独居士は深く心に佛を信じ、佛所にいたりて頭面に足を禮し、一面に座して佛に白して言はく、世尊、世尊が諸國土を遊行世せらるゝ時、我世尊を見ざるがゆえに甚だ渇仰す。願わくば一物を賜へ、我常に供養すべしと。佛は爪と髪を與へていわく、居士、汝まさにこの爪と髪を供養すべしと。居士即時に佛に白して言さく、願はくば世尊我に髪塔と爪塔を起すことを聴し多摩へと。佛言はく、髪塔と爪塔を起すことを聴と。』とある。長阿含経第四には『時に拘尸國人は舎利の分を得て、即ちその土に於て塔を起して供養す。波婆國、人遮羅國、羅摩伽國、田比(ビ、一つの字)留提國、迦繊羅衛國、田比(ビ、一つの字)舎離國、摩竭國阿闍世王等は舎利の分を得終わりて、各其國に帰て塔をおこして供養す。・・』)
・なお摩訶僧祇律三十三には『舎利あるものは塔と名ずけ、舎利なきものは支提と名ずく。・・』(法華経義疏十一等にもあり)とあります。

・「高僧傳第一」等によると『(中国の塔の嚆矢は呉主孫権が康僧会の仏舎利感得に)大いに歎服して塔を建て建初寺と号せりといへり。』とあり、本邦においては敏達天皇の十四年二月、蘇我馬子が大野丘の北に塔を起て、その柱頭に司馬達等の獲たる舎利を安置するを以てその濫觴とするとされます。


・なお塔をつくることは功徳があるとされてきました。
天に生ずるといいます。「佛説造塔功徳經」には造塔の功徳として「其人功徳如彼梵天。命終之後生於梵世。於彼壽盡生五淨居。與彼諸天等無有異。」とあります。「右繞塔功徳経」には「一切のうまれるところにおいて念恵つねに失ふなく妙色相を具足せん、・・・妻子悉く具足して威勢力自在ならん、これ塔を右繞するによる、・・・あるいは七宝を具せる大勢の転輪王となり十善群生を御せん、これ塔を右繞する」とあります。
お大師様は「性霊集」の「四恩の奉恩に二部の曼荼羅を造る願文」で宇宙に遍満されている大日如来を塔になぞらえて「法性身塔奇きかな、皇(おおい)なるかな。」とおっしゃったうえで「勧進して佛塔を造り奉る知識の書」では「福徳は佛塔を建て、佛像を造るを以って要とす。」とされています。日蓮上人は「中興入道御書」に「丈六の卒塔婆を立て、・・・北風吹けば南海の魚族其の風に当たりて大海の苦を離れ、東風吹けば、西山の鳥鹿其の風を身にふれて、畜生道を脱れて、都卒の内院に生まれん。況や卒塔婆に随喜をなし、手に触れ、眼に見まいらせ候人類おや。・・」と書いています。(続)



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