蟷螂・ハチドリ・鸚鵡でさえ我が身を顧みず・・
1、有名な「蟷螂の斧」の話があります。
『韓詩外伝』に「斉の荘公出でて猟す。一虫有り、足を挙げて将に其の輪を搏たんとす。其の御に問いて曰く、此れ何の虫ぞや、と。対えて曰く、此れ所謂螳螂なる者なり。其の虫為るや、進むを知りて却くを知らず、力を量らずして敵を軽んず、と。荘公曰く、此れ人為らば必ず天下の勇武為らん、と。車を廻らして之を避く。」というものですが今ではドン・キホーテのように自分の力量を知らない愚か者というような意味にとられていますがこの原典では蟷螂は斉の荘公に尊敬されています。
2、少し似ていますが 「ハチドリのひとしずく」というアンデスの民話があるようです。以下のようなものです。「森が燃えていました。森の生きものたちは われ先にと 逃げて いきました
しかしハチドリだけは いったりきたり口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます。動物たちがそれを見て「そんなことをして いったい何になるんだ」
といって笑いますハチドリはこう答えました
『私は、私にできることをしているだけ』」
3、旧雑譬経二三にもこれとほぼ同じ話があります。「 昔有鸚鵡。飛集他山中。山中百鳥畜獸。 轉相重愛不相殘害。鸚鵡自念。雖爾不可久 也。當歸耳便去。却後數月大山失火四面 皆然。鸚鵡遙見便入水。以羽翅取水飛上空中。以衣毛間水灑之欲滅大火。如是往
來往來。天神言。咄鸚鵡。汝何以癡。千里之火寧爲汝兩翅水滅乎。鸚鵡曰。我由知而
不滅也。我曾客是山中。山中百鳥畜獸。皆仁善悉爲兄弟。我不忍見之耳。天神感其
至意。則雨滅火也」(昔鸚鵡がある山中にいたがここは動物たちが仲良く暮らしていた。鸚鵡がここを去って数か月後にこの山が火事になった。鸚鵡は羽に水をふくませて往来して火を消そうとした。天神がなぜそのような無駄なことをするのかと聞いたら鸚鵡は此の山にかって住まわせてもらったがここは皆が仲良く暮らしていて兄弟である。この火事をみるにしのびないのでこうしている。というと感じ入った天神は雨を降らせて消火した。)というものです。
4,ときどきこういう話を思い出して我が身を鼓舞することにしています。
1、有名な「蟷螂の斧」の話があります。
『韓詩外伝』に「斉の荘公出でて猟す。一虫有り、足を挙げて将に其の輪を搏たんとす。其の御に問いて曰く、此れ何の虫ぞや、と。対えて曰く、此れ所謂螳螂なる者なり。其の虫為るや、進むを知りて却くを知らず、力を量らずして敵を軽んず、と。荘公曰く、此れ人為らば必ず天下の勇武為らん、と。車を廻らして之を避く。」というものですが今ではドン・キホーテのように自分の力量を知らない愚か者というような意味にとられていますがこの原典では蟷螂は斉の荘公に尊敬されています。
2、少し似ていますが 「ハチドリのひとしずく」というアンデスの民話があるようです。以下のようなものです。「森が燃えていました。森の生きものたちは われ先にと 逃げて いきました
しかしハチドリだけは いったりきたり口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます。動物たちがそれを見て「そんなことをして いったい何になるんだ」
といって笑いますハチドリはこう答えました
『私は、私にできることをしているだけ』」
3、旧雑譬経二三にもこれとほぼ同じ話があります。「 昔有鸚鵡。飛集他山中。山中百鳥畜獸。 轉相重愛不相殘害。鸚鵡自念。雖爾不可久 也。當歸耳便去。却後數月大山失火四面 皆然。鸚鵡遙見便入水。以羽翅取水飛上空中。以衣毛間水灑之欲滅大火。如是往
來往來。天神言。咄鸚鵡。汝何以癡。千里之火寧爲汝兩翅水滅乎。鸚鵡曰。我由知而
不滅也。我曾客是山中。山中百鳥畜獸。皆仁善悉爲兄弟。我不忍見之耳。天神感其
至意。則雨滅火也」(昔鸚鵡がある山中にいたがここは動物たちが仲良く暮らしていた。鸚鵡がここを去って数か月後にこの山が火事になった。鸚鵡は羽に水をふくませて往来して火を消そうとした。天神がなぜそのような無駄なことをするのかと聞いたら鸚鵡は此の山にかって住まわせてもらったがここは皆が仲良く暮らしていて兄弟である。この火事をみるにしのびないのでこうしている。というと感じ入った天神は雨を降らせて消火した。)というものです。
4,ときどきこういう話を思い出して我が身を鼓舞することにしています。