「文にて申しまいらせ候。朝夕はひえびえ敷くならせ候へども、弥々お変わりのふ御入なされ候よし、なにより喜敷ぞんじ参らせ候。しかれば聴衆御方より起信論の読講御ねがひのよしに候へども、いまだ御すぐれなされず候ゆへ、先御せう引も御座なきよし、御尤もにぞんじ参らせ候。此ぎはたとひ御病気すきと〱よく御入候とも、御うけは御むようとぞんじまいらせ候。そうたい、かう尺もほつきの御入にしたがひてなされて候ては、経おわれば論、ろんおわりならば律と、しだいに相つずき、これぞともうすかぎりもなく、一生かう尺坊主(講釈坊主)になりて終わるものにてござ候。わが身にけんならば(賢ならば)このたびの病気縁因となされ、是より事をはぶき、縁をしりぞけ、日夜ざぜん修行を御心掛け、みずから生死を離脱して、この解脱を以て、人をも利益なされ、わが身も善所へ御いういん(誘因)候へかしと、あさ夕ねがふ事に御ざ候。めでたくかしこ。かへす〱小利を見るものは大事をなさずとかやもうせば、かならずかならず小名聞小利益を御かへりみ、生死しゅつり(出離)の大利益を御わすれ候ことは、あるまじきこととぞんじ参らせ候。くわしくは御めもじと、あら〱申しのこし参らせ候。めでたくかしこ。 母
慈雲律師」
慈雲律師」