八種業について。
阿毘達磨大毘婆沙論に「業がいつかは報果を呼ぶことは決まっているが、報果には内容が決定してないものがあり、これは善行・戒律を守ることにより変わってくる」とあります。
「八種業を説く。謂く順現法受業(現世に善悪業をなして現世にその報果を受けること)に二種あり。一に異熟決定(報果が決定している)、二に異熟不決定(果報内容は決定してない)。順次生受業(現世に善悪業をなして、その報果を次の世で受けること)、順後次受業(現世に善悪業をなして、その報果を第三世以降で受けること)、順不定受業(現世に善悪業をなして、その報果をいつの世で受けるか決まってないもの)の亦た各の二あり。一に異熟決定(報果内容が決定している)、二に異熟不決定(報果内容が決定してない)なり。是れを八業をいう。中において諸異熟定業は皆な不可轉なり。諸異熟不定業は皆な可轉なり。此れを轉となす故に禁戒を受持し梵行を勤修す。(現世・来世・再来世・不定世の果報が決定してない報果は、戒律・善行により果報を変化できる)」
しかし密教では定業であれども転ずることが出来ると説きます。
阿毘達磨大毘婆沙論に「業がいつかは報果を呼ぶことは決まっているが、報果には内容が決定してないものがあり、これは善行・戒律を守ることにより変わってくる」とあります。
「八種業を説く。謂く順現法受業(現世に善悪業をなして現世にその報果を受けること)に二種あり。一に異熟決定(報果が決定している)、二に異熟不決定(果報内容は決定してない)。順次生受業(現世に善悪業をなして、その報果を次の世で受けること)、順後次受業(現世に善悪業をなして、その報果を第三世以降で受けること)、順不定受業(現世に善悪業をなして、その報果をいつの世で受けるか決まってないもの)の亦た各の二あり。一に異熟決定(報果内容が決定している)、二に異熟不決定(報果内容が決定してない)なり。是れを八業をいう。中において諸異熟定業は皆な不可轉なり。諸異熟不定業は皆な可轉なり。此れを轉となす故に禁戒を受持し梵行を勤修す。(現世・来世・再来世・不定世の果報が決定してない報果は、戒律・善行により果報を変化できる)」
しかし密教では定業であれども転ずることが出来ると説きます。