矢作直樹東大医学部教授の『人は死なない』は自身の体験から『人は死なない、魂は残る』という趣旨を書いています。その中で亡母の霊とはなすところがあります。著者の母は一人暮らしでしたが心臓発作で死後数日して発見されます。その後霊感体質をもつ人が現れ母の霊が心配していると著者に告げ著者はその人を通じて母の霊と話すことになります。「・・まず最初にFさん(場所を提供した人)がEさん(霊媒体質の人)に向かそって「矢作美保子さんですね」と声をかけました。するとそのときです、いきなりEさんが前かがみになり・・『直樹さんごめんなさいね。心配かけてごめんなさいね、ごめんなさいね』と話し始めました。」・・筆者は母に心配してないことを告げ、死因や死亡日時をきくと検死結果通りの答えが帰ってきます。さらに霊界でお祖父さん、お祖母さん、伯母さんにもあったといいます。そしてなぜ母が自分に謝るのか聞くと著者が毎晩母への対応を悔やんでいることがわかるからと答えます。
そしてここが重要ですが著者が『毎月いっている納骨堂へのお参りは続けていいんでしょう』と聞くと『それはうれしいわ』と答えています。最後に「『これでもうこちらには来ないのですね』と聞くと『ええお別れよ元気でね』と晴れ晴れした口調に、わたしは拍子抜けしました。親が子を突き放す動物の子別れのようでした・・」とあります。
著者は様々な具体例を引きながら死は単に霊魂が肉体から離れるのみで魂まで『滅する』ものではないと説きます。以前はこういうことは日本人の常識でしたがいまやこうしたことを本にしなければならないほど日本人は変わってしまったということでしょうか。私自身も遍路の途中で突然現れた霊媒体質の人に亡父の霊が乗り移りしばらく話したことがあります。霊界があるのは当たり前です。それにしても死後の供養は死者も喜んでいるということがよくわかります。いかに供養がたいせつかということです。
そしてここが重要ですが著者が『毎月いっている納骨堂へのお参りは続けていいんでしょう』と聞くと『それはうれしいわ』と答えています。最後に「『これでもうこちらには来ないのですね』と聞くと『ええお別れよ元気でね』と晴れ晴れした口調に、わたしは拍子抜けしました。親が子を突き放す動物の子別れのようでした・・」とあります。
著者は様々な具体例を引きながら死は単に霊魂が肉体から離れるのみで魂まで『滅する』ものではないと説きます。以前はこういうことは日本人の常識でしたがいまやこうしたことを本にしなければならないほど日本人は変わってしまったということでしょうか。私自身も遍路の途中で突然現れた霊媒体質の人に亡父の霊が乗り移りしばらく話したことがあります。霊界があるのは当たり前です。それにしても死後の供養は死者も喜んでいるということがよくわかります。いかに供養がたいせつかということです。