福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

角田さんが先日の江戸33観音東京10社の参拝記録を作ってくださいました。5

2015-08-17 | 開催報告/巡礼記録
いよいよ、本日の最終参拝寺。鮮やかな真っ赤な彩の山門のある大園寺です。午前11時55分着。
第23番札所 金龍山 大円寺(東京都文京区向丘1-11-3)本尊 聖観世音菩薩 曹洞宗
同寺は、慶長2年、分福茶釜で知られる、上州・館林の茂淋寺12世久山正雄大和尚が、開基した禅刹です。昭和のはじめ、第29世法秀太元和尚が、観音菩薩の広大な加被力を蒙り、難病を克服したので、報恩謝徳を、志したといいます。しかし、時は、国家難局の憂慮する状況でしたので、国難打開、国家昌平,万民和楽を願い、七観音の尊像建立を発願。高村光雲に、製作を依頼したところ、光雲も、東都に昭和の観音像を残したいという念願があり、両者の希望が一致。聖観音を始め、千手、如意輪、十一面、不空羂索、馬頭、准胝と一丈余の尊像が完成して、新観音霊場となりました。その後、大空襲があり、尊像は、烏有になってしまいました。しかし、光雲が、心血を注いだ胎内仏は、疎開していたため、無事でした。今では、光雲の門下高弟たちによって、観音像を再現し、同寺を守っているといいます。(同寺の縁起より)
この大円寺にも、八百屋お七に因む、お地蔵様がおられます。「ほうろく地蔵」.お七の罪業を救うため、熱した焙烙(ほうろく・素焼きのふちの浅い土鍋)
を頭に被り自ら焦熱の苦しみを受け入れたお地蔵様です。享保4年(1719年)、お七供養の為に渡辺九兵衛という人が、寄進したといわれています。この
お地蔵様は、頭痛、眼病、耳・鼻の病など首から上の病気を治す霊験あらたかなお地蔵様として有名になったそうです。たしかに、霊験をいただいたのでしょう
お地蔵様の祠には、色とりどりの千羽鶴や、赤提灯、願掛けの小皿が所狭しと飾られていました。
また、本堂に向かう、参道のかたわらに、「花の匂いは、母のにおいよあまえたし」の歌の石碑や、鉢植えの蓮が大きく葉を広げ、並んでいました。心優しく穏やかな心情になります。まもなく敗戦記念日がきます。やはり、沿道脇の木々の茂る奥に、見上げるほどの高さの石塔が立てられていました。「満蒙・上海事変殉国将兵英霊軍馬等追弔記念」と雄渾な字が刻まれていました。が、誰も足を止め、見る?人は、いません。また、「殉国」という言葉の意味さえわかる人は、少なくなったようです。ましてや、満蒙・上海事変を知る人も少なくなったでしょう。それにしても、兵隊さんの霊、そして、軍馬として戦場で倒れた動物にも弔意を捧げた、昔の人たち(私たちの祖先の人たち)の温かい志に深い感動を受けるのは、私たちだけでしょうか?「お国のために戦った兵隊さんに有難う。」「今日もこうして、参拝ができるのも、幾多の犠牲になった人たちの「お蔭」があつたからこそです。」つい、尊い、国の犠牲になった英霊を思うとき、つい、軍歌のバージョンが口を次いで出てきます。
御詠歌 逆縁も もらさで救う 観世音 我が身はなれず 添いたもうなり
午後12時25分、この日の全行程を無事終了しました。もう昼です。講員Tさんの案内で、老舗の湯豆腐料理の店にはいり、お昼を取りました。生憎、冷房の効いた部屋は満席でしたが、自然の風に涼をとるあずまやのような席を案内してもらい陣取りました。そこで、豆腐料理をいただきながら、高原講元様と、ゆっくりお話しが出来ました。
(お話の内容は明日アップします)
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