福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

角田さんが先日の江戸33観音東京10社の参拝記録を作ってくださいました。6

2015-08-18 | 開催報告/巡礼記録
日本人の精神の劣化 について、話が出ました。
日本人は、何時から、日章旗、日の丸の旗、国旗を掲げることをしなくなったか?また、国歌、君が代を歌わなくなったか?この社会現象は、現在の日本人の精神的劣化を物語っている。70年間、一度も戦火に見舞われることなく、泰平天下の世に過ごしてきた。便利・快適・大量生産・大量消費・欲望充足に現を抜かし、超越的、神秘的な霊感は、科学的合理主義の感覚に、取って代わられてしまいました。敗戦後の教育の荒廃は、凄まじいものであつたといいます。昔のことは、皆悪いとして、道徳、修身、は、小学校の教科から廃止され、誤った自由・民主主義が、強調され、家庭での子供の躾けも、我慢・辛抱・倹約・孝行・克己などの徳目は、殆ど、なくなりました。そして迎えた、高度経済成長時代。たいていの人は、エコノミックアニマルと言われる人になり、お金の亡者になりました。己の欲望充足が第一課題になり、国のことに付いて、他者の為ということについて、は、考える余裕さえありませんでした。経済大国日本は、辛うじて、聖徳太子から、福沢諭吉の図柄の一万円札で、「学問のすすめ」を知らされたのですが、拝金主義は、愛国精神を脆弱なものにしてしまいました。今、小・中・高・大学に至る、教育機関で、国旗・国歌に敬意を表することを否定する関係者が少なくないと聞きます。日本の将来が思いやられます。

お参りについて
高原講元様は、社寺の巡拝行、いわゆる、お参りは、誰でもできるものではない、機会を与えられるということは難しいことであると強調しておられました。確かに、お参りというのは、済んでしまえば何のことではないのですが、始める時に、難しさがあるようです。特に、ひとり単独でお参りする時が、特に難しいのではないでしょうか。お参りをするという行為に、自分がどれだけの情熱・敢行する決意・お参りの意義をただし・精神的にも内面的にも、不安ながらも、充実した内的の促しなど、これらの条件を瞬時のうちに解決しないと、行動できない。さらに、外面的な条件、金銭面、周囲の人間関係、さらには、体調、天候状態など、様々の用件があります。そして、お参りを、仏道修行の一環として行う時には、更なる、精神活動を活発にさせねばならないと思います。巡拝行は、観光旅行ではないのですから、おなじ行動動作は似ていても、全く異なる心構えになります。こう考えてゆくと、確かに、お参りするということは、軽々に口に出して言えない事だと厳粛な思いに浸されるようです。今回は、お参りの初動時に付いて、思いついたことを記してみました。なるほど、考えると哲学的な思考になってゆく思いもします。一方で、まだ、未熟だなーと言う慨嘆もあります。正直なところ。そして、大事なことは、当人にお参りを促す先祖の霊、知らず知らずの内に重ねた陰徳などいろんな要素が作用して、お参りするこになると言います。
(続)
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