三昧耶戒序
遍照金剛撰
若しそれ一千二百の草藥、七十二種の金丹は身病を悲しんで方を作り。一十二部の妙法、八萬四千の經教は心疾を哀れんで垂訓す。
身病百種なれば即ち方藥一途なることあたわず。心疾萬品なれば則ち經教一種なることを得ず。
是故に我大師薄伽梵(仏) 種種の藥を施して、種種の病を療したまふ。
五常五戒は(仁義礼智信、不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)即ち愚童持齋之妙藥なり。
六行四禪は(下界を厭うて苦麁障のおもいをなし、上天を願て浄妙離の観をなすこと)則ち嬰童無畏之醍醐(秘密曼荼羅十住心論にいう第三住心)
二百五十之戒は四念八背之觀(四念とは四念処といい身は不浄、心は無常、法は無我と観じること、八背とは八解脱をいう)
十二因縁十二頭陀(糞掃衣,三衣,常乞食,次第乞食,一坐食,一鉢食.時後不食,阿蘭若住,樹下住,露地住,塚間住,随所住.常坐不臥)は人我を遮して三昧を證し、法執を帶して涅槃を得る。斯れ乃ち聲聞の教藥、縁覺の除病なり。
無縁に悲を起し幻炎に識を觀ず。六度(六波羅蜜)を行となし、四攝(布施、愛語、利行、同事)に事を作す。三祇に功を積み四智(大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)に果を得る。斯を他縁大乘之方法と為す。
無我を捨てて自在を得、不生を觀じて心性を覺り、八不(不空不常、不常不増、不一不異)を揮って八迷を斷じ、五句を擲って(一に有を執し、二に無を執し、三に亦有亦無を執し、四に非有非無を執し、五に非非有非非無を執すること)、以って五邊(中道をしらずして迷う、増益、相違、愚痴、戯論のこと)を払う。四種言語(相言説、夢言説、妄執言説、無始言説)は道斷って無為なり。九種心量(眼耳鼻舌身意、末那識、阿頼耶識、多一敷識心)は足絶って寂靜なり。是れ則ち覺心不生之妙術なり。
自心を妙蓮に觀じ、境智を照潤に喩う。三諦(即空、即仮、即中)倶に融し、六即(天台でいう修行の段階)は位を表す。是則如實一道心の針灸なり。
(次は華厳教)
況や復た法界を帝網に喩え、心佛を金水に觀ず、六相十玄(一塵に十玄・六相が円具していることを悟るもの。一塵に六相を観ずるとは、万法は総じて一塵の事法を成じ(総)、一塵を開けば万法差別して(別)、また、万法同じく是れ一塵の相にして(同)、万法互いに異なるも(異)、同じく成じて、ここに同異の相をなし、万法ともにこの一塵の法を成じ(成)、しかも万法各々その自位に住して(壊)、ここに成壊の二相をなすと想うことで、 一塵に十玄を観ずるとは、一塵において①同時に一切の無盡の事法を具足し(同時具足相應門)、②諸法遍満し(廣狹自在無礙門)、③一多互いに容摂し(一多相容不同門)、④諸法相即し(法相即自在門)、⑤万法隠顕し(穩密顯了倶成門)、⑥無量仏刹に示して安立しており(微細相容安立門)、⑦万法重重に顕現し(因陀羅網法界門)、⑧真法を表わし(託事顯法生解門)、⑨十世を成じ(十世隔法異成門)、⑩主伴具足す(主伴圓明具門)と観じること。)その教義を織り、五教四車(小乗教、大乗始教、大乗終教、頓教、円教。羊車、大白牛車、声聞乗、縁覚乗)その淺深を簡う。初發に正覺を成じ、三生に佛果を證す。是則ち極無自性心の佛果なり。
かくのごとくの妙法並皆なその機根に契って不思議の妙藥なり。自上の諸教は他受用應化佛の所説の甘露なり。
今授ところの三昧耶佛戒とは、則是れ大毘盧遮那自性法身の所説の眞言曼荼羅教の戒なり。若し善男子善女人比丘比丘尼清信男女等あって、欲此の乘に入って修行せんと思はんものは、先ず四種心を發すべし。一には信心、二には大悲心、三には勝義心、四には大菩提心なり。初に信心者。決定堅固にして退失なからんと欲すゆえに此心を發す。此に十種有り。一には澄淨の義、能く心性をして清淨明白ならしむるが故に。二には決定義。能く心性をして淳至堅固ならしむるがゆえに。三には歡喜の義、能く諸の憂惱を齗除せしめるが故に。四には無厭の義、能く懈怠心斷除せしめるが故に。五には隨喜の義、他の勝行において同心を發起するが故に。六には尊重の義、諸の有徳において輕賎せざるが故に。七には隨順の義。見聞する所に隨って違逆せざるが故に。八には讃歎の義、彼の勝行に隨って至心稱歎するが故に。九には不壞の義、專ら一心にありて不忘失の故に。十には愛樂の義、能く慈悲心を成就せしむる故に。
大悲心者。名行願心と名ずく。言く外道二乘は此心を起こさず。但し菩薩大士のみ能く此心を發す。法界無縁の一切衆生を觀ずること猶し己身のごとし。然る所以は善人の用心は他を先とし己を後とす。又た三世を達觀するに皆是我四恩(父母、衆生、国王、三宝の恩)なり。四恩皆
三惡趣に墮して無量苦を受く。吾は是れ彼の子也。亦彼の資なり。我にあらざれば誰か能く拔濟せん。是故に此大慈大悲心を發すべし。大慈は能く楽を與え、大悲は能く苦を拔く。拔苦與樂之本は源を絶たんにはしかず。源を絶つの首は法を授らんには若かず。法藥萬差なりといえども。前に説くところの八種法門是れ彼の本なり。
然猶機根に隨順するが故に淺深遲速あり。是の如の諸法教を簡擇せんと願うがゆえに第三勝義心を發す。亦は深般若心と名ずく。いかんが簡擇するや。若し上根上智の人あって、是の如きの法を行じて早く自心本宅に歸らんと欲ば、先ず須らく乘の差別を簡知すべし。此の乘の優劣を簡知せんと欲はば、これ凡夫二乘及十地菩薩所知境界にあらず。但し如來所説に依って之を知る耳。
如來明かに其差別を説きたまふ。是故に此龜鏡を攬(と)って、簡得すべし。異生羝羊の凡夫は。專ら十不善等業を造り、三毒五欲之樂に耽って曾って後身の三途の極苦に墮することを知らず。是故に眞言有智の人樂著すべからず。愚童持齋の人乘の法は漸く因果を信じて五常五戒等を行ずというといえども、猶是人中之因にして生天之樂を得ず。是故に樂著すべからず。嬰童無畏の外道生天之乘は。下、四王天より上、悲想に至るまで二十八天の樂を受くるというといえども、ついには人中地獄等に墮して生死を出ることを得ず。是故に樂著すべからず。
唯蘊無我、拔業因種の二種の羊鹿乘は、三界を出ると雖も猶是下劣なり。三生六十之劫、七・八・四・百之時(縁覚が辟支仏になるために七世に得度し、あるいは八世に得度する。また利根なるものは四世の修行、鈍根なるものは百劫の修行をする)何ぞ其れ眇焉なる、是故樂求すべからず。
他縁大乘、覺心不生二種の法門は、捨身命して布施を行じ、妻子を許して他人にあたえ、三大阿僧祇を經て六度萬行を行ず。劫石高廣にして難盡、弱心退し易く進み難し。十進九退す。吾亦何ぞ堪ん。如實一道之心は、雖云心垢を拂って清淨に入り、境智を泯して如如を證すといえども猶是一道清淨之樂にして、未だ金剛之寶藏に入らず。是故に亦た住すべからず。
極無自性心者。法界を融して三世間身を證し、帝網に等しくして一大法身を得るといえども。猶是成佛之因初心之佛なり。五相成身四種曼荼羅未だ具足することあたわず。是故に住すべからず。謂く未得を得となし、未到を到と謂へり。
如是依如來教勅。以最上智惠簡乘差別發菩提心。若有人等。乘如是事行所行道。未名最上淨菩提心。是故眞言門菩薩超此諸住心
等。發菩提心行菩提行。爲知此乘差別發深般若勝義心。
四に菩提心といっぱ、此に二種あり。一なは能求の菩提心。二には所求の菩提心なり。能求の心者、譬えば人ありて善と惡とを為さんと欲せば、必ず先ず其心を標して而して後に其行を行ずるが如し 云云と。 菩提を求める人もまたかくの如し。又た 狂人毒を解して忽ち起歸宅之心をおこし、遊客事畢乍懷土之思を發っするがごとく、菩提を求るの心もまた如是。既に知りぬ、狂醉して三界之獄に在り、熟眠して六道之薮に臥せり。何ぞ神通之車を驅って速かに本覺莊嚴之床に歸らざらん。此則ち能求之心なり。
所求心とは、所謂無盡莊嚴金剛界身是也。大毘盧遮那、四種法身、四種曼荼羅、此是一切衆生本來平等にして共に有せり。しかりといえども五障之覆弊を被り、三妄之雲翳によって覺悟することを得ず。若し能く日月之輪光を觀じ、聲字之眞言を誦じて、三密之加持を發し、四印之妙用を揮はば、則大日之光明廓として法界に周く、無明之障者忽に心海に歸せん。無明忽明となり、毒藥乍藥となる。五部三部之尊森羅として圓現し、刹塵海滴之佛忽然として涌出せん。此三昧に住するを祕密三摩地と名ずく。
諸佛如來此の大悲・勝義・三摩地をもって戒となし、時として暫も忘るることなし。何故に此をもって戒と名ずくるや。戒有二種。一毘奈耶此
翻調伏。二尸羅翻云清涼寂靜。一切衆生を觀るに猶し己身及四恩のごとし。是故に不敢殺害其身命。觀衆生猶如己身。故不敢奪盜其所有財物。觀衆生猶如四恩。故不敢凌辱汚穢。觀衆生猶如己身四恩。故不敢欺誑。觀衆生如己身四恩。故不敢以麁惡語罵詈觀衆生如己身四恩。故不敢離間觀衆生如己身四恩。故不敢貪求所有財色。觀衆生如己身。故不敢嗔恚前人。觀衆生如己身。故不敢起愚癡心行。是則由大慈悲
行願故。自然離十不善心。十不善等を離るとは即是調伏の戒なり。其惡心を離るるによるが故に、心中清涼寂靜なることを得。是則尸羅之戒なり。亦是饒益有情之戒なり。
又深般若妙惠をもって前の九種住心を觀るに無自性なり。云何無自性。謂く冬の凍、春に遇えば即ち泮ぎ流れ、金石も火を得れば即ち消鎔するが如し。諸法皆從縁生無自性。是故異生羝羊の凡夫は一向に惡心なれども、善知識の教誘に遇うが故に愚童持齋心を起す。愚童人乘の人、因果を信ずるが故に生天護戒心を生ず。嬰童無畏の心なり。嬰童無畏心は殊勝解脱智を願うが故に、善知識の誘いに依って唯蘊無我・拔業因種の二
乘心を發す。二乘之人は諸佛の驚誘を蒙るが故に他縁大乘心を起す。他縁大乘の人は最勝の果を願うが故に、覺心不生心を起す。覺心不生の人は自性無きが故に、一道如實心を起す。一道如實心の人は諸佛驚覺を蒙るが故に極無自性心を發す。極無自性の人は究竟最勝金剛心を願うが故に祕密莊嚴心を發す。
是皆自性なきによるがゆえに、展轉勝進す。深般若をもって無自性を觀ずるが故に、自然に一切の惡を離れ一切の善を修し、自他衆生を饒益す。即是三聚妙戒具足にして無缺なり。祕密三摩地に住することも亦復如是。住此乘者。此戒をもって自身心を檢知し、他衆生を教化す。即是
祕密三摩耶佛戒也。
三昧耶戒序 終
遍照金剛撰
若しそれ一千二百の草藥、七十二種の金丹は身病を悲しんで方を作り。一十二部の妙法、八萬四千の經教は心疾を哀れんで垂訓す。
身病百種なれば即ち方藥一途なることあたわず。心疾萬品なれば則ち經教一種なることを得ず。
是故に我大師薄伽梵(仏) 種種の藥を施して、種種の病を療したまふ。
五常五戒は(仁義礼智信、不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)即ち愚童持齋之妙藥なり。
六行四禪は(下界を厭うて苦麁障のおもいをなし、上天を願て浄妙離の観をなすこと)則ち嬰童無畏之醍醐(秘密曼荼羅十住心論にいう第三住心)
二百五十之戒は四念八背之觀(四念とは四念処といい身は不浄、心は無常、法は無我と観じること、八背とは八解脱をいう)
十二因縁十二頭陀(糞掃衣,三衣,常乞食,次第乞食,一坐食,一鉢食.時後不食,阿蘭若住,樹下住,露地住,塚間住,随所住.常坐不臥)は人我を遮して三昧を證し、法執を帶して涅槃を得る。斯れ乃ち聲聞の教藥、縁覺の除病なり。
無縁に悲を起し幻炎に識を觀ず。六度(六波羅蜜)を行となし、四攝(布施、愛語、利行、同事)に事を作す。三祇に功を積み四智(大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)に果を得る。斯を他縁大乘之方法と為す。
無我を捨てて自在を得、不生を觀じて心性を覺り、八不(不空不常、不常不増、不一不異)を揮って八迷を斷じ、五句を擲って(一に有を執し、二に無を執し、三に亦有亦無を執し、四に非有非無を執し、五に非非有非非無を執すること)、以って五邊(中道をしらずして迷う、増益、相違、愚痴、戯論のこと)を払う。四種言語(相言説、夢言説、妄執言説、無始言説)は道斷って無為なり。九種心量(眼耳鼻舌身意、末那識、阿頼耶識、多一敷識心)は足絶って寂靜なり。是れ則ち覺心不生之妙術なり。
自心を妙蓮に觀じ、境智を照潤に喩う。三諦(即空、即仮、即中)倶に融し、六即(天台でいう修行の段階)は位を表す。是則如實一道心の針灸なり。
(次は華厳教)
況や復た法界を帝網に喩え、心佛を金水に觀ず、六相十玄(一塵に十玄・六相が円具していることを悟るもの。一塵に六相を観ずるとは、万法は総じて一塵の事法を成じ(総)、一塵を開けば万法差別して(別)、また、万法同じく是れ一塵の相にして(同)、万法互いに異なるも(異)、同じく成じて、ここに同異の相をなし、万法ともにこの一塵の法を成じ(成)、しかも万法各々その自位に住して(壊)、ここに成壊の二相をなすと想うことで、 一塵に十玄を観ずるとは、一塵において①同時に一切の無盡の事法を具足し(同時具足相應門)、②諸法遍満し(廣狹自在無礙門)、③一多互いに容摂し(一多相容不同門)、④諸法相即し(法相即自在門)、⑤万法隠顕し(穩密顯了倶成門)、⑥無量仏刹に示して安立しており(微細相容安立門)、⑦万法重重に顕現し(因陀羅網法界門)、⑧真法を表わし(託事顯法生解門)、⑨十世を成じ(十世隔法異成門)、⑩主伴具足す(主伴圓明具門)と観じること。)その教義を織り、五教四車(小乗教、大乗始教、大乗終教、頓教、円教。羊車、大白牛車、声聞乗、縁覚乗)その淺深を簡う。初發に正覺を成じ、三生に佛果を證す。是則ち極無自性心の佛果なり。
かくのごとくの妙法並皆なその機根に契って不思議の妙藥なり。自上の諸教は他受用應化佛の所説の甘露なり。
今授ところの三昧耶佛戒とは、則是れ大毘盧遮那自性法身の所説の眞言曼荼羅教の戒なり。若し善男子善女人比丘比丘尼清信男女等あって、欲此の乘に入って修行せんと思はんものは、先ず四種心を發すべし。一には信心、二には大悲心、三には勝義心、四には大菩提心なり。初に信心者。決定堅固にして退失なからんと欲すゆえに此心を發す。此に十種有り。一には澄淨の義、能く心性をして清淨明白ならしむるが故に。二には決定義。能く心性をして淳至堅固ならしむるがゆえに。三には歡喜の義、能く諸の憂惱を齗除せしめるが故に。四には無厭の義、能く懈怠心斷除せしめるが故に。五には隨喜の義、他の勝行において同心を發起するが故に。六には尊重の義、諸の有徳において輕賎せざるが故に。七には隨順の義。見聞する所に隨って違逆せざるが故に。八には讃歎の義、彼の勝行に隨って至心稱歎するが故に。九には不壞の義、專ら一心にありて不忘失の故に。十には愛樂の義、能く慈悲心を成就せしむる故に。
大悲心者。名行願心と名ずく。言く外道二乘は此心を起こさず。但し菩薩大士のみ能く此心を發す。法界無縁の一切衆生を觀ずること猶し己身のごとし。然る所以は善人の用心は他を先とし己を後とす。又た三世を達觀するに皆是我四恩(父母、衆生、国王、三宝の恩)なり。四恩皆
三惡趣に墮して無量苦を受く。吾は是れ彼の子也。亦彼の資なり。我にあらざれば誰か能く拔濟せん。是故に此大慈大悲心を發すべし。大慈は能く楽を與え、大悲は能く苦を拔く。拔苦與樂之本は源を絶たんにはしかず。源を絶つの首は法を授らんには若かず。法藥萬差なりといえども。前に説くところの八種法門是れ彼の本なり。
然猶機根に隨順するが故に淺深遲速あり。是の如の諸法教を簡擇せんと願うがゆえに第三勝義心を發す。亦は深般若心と名ずく。いかんが簡擇するや。若し上根上智の人あって、是の如きの法を行じて早く自心本宅に歸らんと欲ば、先ず須らく乘の差別を簡知すべし。此の乘の優劣を簡知せんと欲はば、これ凡夫二乘及十地菩薩所知境界にあらず。但し如來所説に依って之を知る耳。
如來明かに其差別を説きたまふ。是故に此龜鏡を攬(と)って、簡得すべし。異生羝羊の凡夫は。專ら十不善等業を造り、三毒五欲之樂に耽って曾って後身の三途の極苦に墮することを知らず。是故に眞言有智の人樂著すべからず。愚童持齋の人乘の法は漸く因果を信じて五常五戒等を行ずというといえども、猶是人中之因にして生天之樂を得ず。是故に樂著すべからず。嬰童無畏の外道生天之乘は。下、四王天より上、悲想に至るまで二十八天の樂を受くるというといえども、ついには人中地獄等に墮して生死を出ることを得ず。是故に樂著すべからず。
唯蘊無我、拔業因種の二種の羊鹿乘は、三界を出ると雖も猶是下劣なり。三生六十之劫、七・八・四・百之時(縁覚が辟支仏になるために七世に得度し、あるいは八世に得度する。また利根なるものは四世の修行、鈍根なるものは百劫の修行をする)何ぞ其れ眇焉なる、是故樂求すべからず。
他縁大乘、覺心不生二種の法門は、捨身命して布施を行じ、妻子を許して他人にあたえ、三大阿僧祇を經て六度萬行を行ず。劫石高廣にして難盡、弱心退し易く進み難し。十進九退す。吾亦何ぞ堪ん。如實一道之心は、雖云心垢を拂って清淨に入り、境智を泯して如如を證すといえども猶是一道清淨之樂にして、未だ金剛之寶藏に入らず。是故に亦た住すべからず。
極無自性心者。法界を融して三世間身を證し、帝網に等しくして一大法身を得るといえども。猶是成佛之因初心之佛なり。五相成身四種曼荼羅未だ具足することあたわず。是故に住すべからず。謂く未得を得となし、未到を到と謂へり。
如是依如來教勅。以最上智惠簡乘差別發菩提心。若有人等。乘如是事行所行道。未名最上淨菩提心。是故眞言門菩薩超此諸住心
等。發菩提心行菩提行。爲知此乘差別發深般若勝義心。
四に菩提心といっぱ、此に二種あり。一なは能求の菩提心。二には所求の菩提心なり。能求の心者、譬えば人ありて善と惡とを為さんと欲せば、必ず先ず其心を標して而して後に其行を行ずるが如し 云云と。 菩提を求める人もまたかくの如し。又た 狂人毒を解して忽ち起歸宅之心をおこし、遊客事畢乍懷土之思を發っするがごとく、菩提を求るの心もまた如是。既に知りぬ、狂醉して三界之獄に在り、熟眠して六道之薮に臥せり。何ぞ神通之車を驅って速かに本覺莊嚴之床に歸らざらん。此則ち能求之心なり。
所求心とは、所謂無盡莊嚴金剛界身是也。大毘盧遮那、四種法身、四種曼荼羅、此是一切衆生本來平等にして共に有せり。しかりといえども五障之覆弊を被り、三妄之雲翳によって覺悟することを得ず。若し能く日月之輪光を觀じ、聲字之眞言を誦じて、三密之加持を發し、四印之妙用を揮はば、則大日之光明廓として法界に周く、無明之障者忽に心海に歸せん。無明忽明となり、毒藥乍藥となる。五部三部之尊森羅として圓現し、刹塵海滴之佛忽然として涌出せん。此三昧に住するを祕密三摩地と名ずく。
諸佛如來此の大悲・勝義・三摩地をもって戒となし、時として暫も忘るることなし。何故に此をもって戒と名ずくるや。戒有二種。一毘奈耶此
翻調伏。二尸羅翻云清涼寂靜。一切衆生を觀るに猶し己身及四恩のごとし。是故に不敢殺害其身命。觀衆生猶如己身。故不敢奪盜其所有財物。觀衆生猶如四恩。故不敢凌辱汚穢。觀衆生猶如己身四恩。故不敢欺誑。觀衆生如己身四恩。故不敢以麁惡語罵詈觀衆生如己身四恩。故不敢離間觀衆生如己身四恩。故不敢貪求所有財色。觀衆生如己身。故不敢嗔恚前人。觀衆生如己身。故不敢起愚癡心行。是則由大慈悲
行願故。自然離十不善心。十不善等を離るとは即是調伏の戒なり。其惡心を離るるによるが故に、心中清涼寂靜なることを得。是則尸羅之戒なり。亦是饒益有情之戒なり。
又深般若妙惠をもって前の九種住心を觀るに無自性なり。云何無自性。謂く冬の凍、春に遇えば即ち泮ぎ流れ、金石も火を得れば即ち消鎔するが如し。諸法皆從縁生無自性。是故異生羝羊の凡夫は一向に惡心なれども、善知識の教誘に遇うが故に愚童持齋心を起す。愚童人乘の人、因果を信ずるが故に生天護戒心を生ず。嬰童無畏の心なり。嬰童無畏心は殊勝解脱智を願うが故に、善知識の誘いに依って唯蘊無我・拔業因種の二
乘心を發す。二乘之人は諸佛の驚誘を蒙るが故に他縁大乘心を起す。他縁大乘の人は最勝の果を願うが故に、覺心不生心を起す。覺心不生の人は自性無きが故に、一道如實心を起す。一道如實心の人は諸佛驚覺を蒙るが故に極無自性心を發す。極無自性の人は究竟最勝金剛心を願うが故に祕密莊嚴心を發す。
是皆自性なきによるがゆえに、展轉勝進す。深般若をもって無自性を觀ずるが故に、自然に一切の惡を離れ一切の善を修し、自他衆生を饒益す。即是三聚妙戒具足にして無缺なり。祕密三摩地に住することも亦復如是。住此乘者。此戒をもって自身心を檢知し、他衆生を教化す。即是
祕密三摩耶佛戒也。
三昧耶戒序 終