福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

角田さんが先日の江戸33観音東京10社の参拝記録を作ってくださいました。4

2015-08-16 | 開催報告/巡礼記録
午前11時30分、第11番札所 南縁山 圓乗寺[東京都文京区白山1-34-6]に着く。圓乗寺 本尊 聖観世音菩薩・釈迦牟尼如来 天台宗
このお寺も周囲を高層マンションビルに囲まれた中にあって、上から見下ろされているような境遇にもかかわらず、屹然と耐え抜いているような、可憐な感じのするお寺です。
元和6年(1620年)寶仙法師によって開山されました。中興開山は、光慶法印大和尚[貞享5年寂]といわれます。慈覚大師作といわれる秘仏・聖観世音菩薩(立像3尺)が所蔵されていましたが、戦災のため、観音堂とともに焼失したそうです。が、その後、復元されています。
このお寺の名を有らしめているのは、なんと言っても八百屋お七[於七]の悲恋物語でしょう。境内に「妙栄禅定尼霊位」天和3年(1683年)3月29日寂。八百屋お七の墓があります。
寺小姓の左兵衛という美少年と恋に落ちたお七は、吉三郎という無頼の徒にそそのかされて、我が家に放火したのです。放火は、未遂に終わりましたが、すぐに、吉三郎と共に捕らわれ、天和3年3月、火刑に処せられました。お七の事件は、当時の民衆にとって一大事でした。放火は、重罪とはいえ、戦乱時以外で女性の火刑が行われたのは、お七ただひとりだったのです。ひたむきで、純情可憐なお七の心痛を察して人々は、同情、哀憐な思いを寄せました。瓦版が、全国津々浦々に配られ、お七の悲恋情話は、井原西鶴はじめとして、浄瑠璃、歌舞伎、舞踊、小唄、演劇に次々、取り上げられました。
お七は、恋人の夢枕に現れ、西方極楽浄土に往生したと、在世の時に所持していた一体の地蔵尊をのこし、西に向い光明を放ち、紫雲に乗って飛び去ったといわれています。この地蔵尊が、八百屋於七地蔵尊であり、昔から縁結び・火伏として多くの、人々の信仰を集めています。八百屋於七地蔵尊の縁結びは、人と人とのつながりばかりでなく過去・現在・未来、宇宙のすべてが縁を結んでいるという広い意味があります。[同寺縁起書より]
小さい寺ながら、こうした八百屋お七・スーパースターのご縁から、参詣の人が
絶えないようです。そこで、つい、げすのかんぐりに似た思いが頭をよぎるのです。一体、この寺を取り囲んでいる高層マンションに住んでいる人たちは、いつもどんな思いをしながら、この寺を俯瞰し、参詣人を眺めているのだろう。住んでおられる方には大変、申し訳ないのですが、このお寺が発信している、仏心を確実に受け止めておられる人は、ごく少数に違いない。無感動/無機質に近い精神状態の人が殆どではないかと。これは、高層マンションに住むひとたちだけではなく、現在、日本の精神風土と日本人の精神状況を象徴していると思うからです。
こんな複雑な思いをしながら、於七の霊に別れを告げたのでした。
御詠歌 観音の おしえのままに みちびかれ ただ円かれと み船に乗るら

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