福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

一期大要秘密集 興教大師撰 (全)

2020-04-14 | 諸経
一期大要秘密集 興教大師撰
概要。この著作は、病気になった真言行者の臨終時の心構、行法を説くもので、病者は自分の本尊の印を結び、絶えず真言念仏をせよといい、側に就く僧侶は魔障を除くために不動慈救呪を誦せよと述べ、病者も月輪観や阿字観を修すべきと説き、唯心の浄土、己身の弥陀を本義とする等全く密教的浄土往生観を示されています。



夫れ、一期の大要は最後の用心にあり。九品の往生は、臨終の正念に任せたり。成仏を求むる者は、当に此の心を習ふべし。出離生死は、只此の刹那にあり。密蔵の要義を集めて、九種の用心と為し、極悪の罪業を払うて、九品の蓮台を望まん。若し最後臨終の軌儀に依れば、破戒の僧尼も必ず往生を得ん。造悪の男女も定んで、極楽に生ぜん。何に況んや有智有戒をや。何に況んや善男善女をや。是れ即ち真言秘観の致す所なり。深く信じて狐疑すること勿れ。
一に、身命を惜しむべき用心。病を療し安穏を致し、往生の業を積まんと欲す。
二に、身命を惜しまざる用心。命期既に近けば身を捨てて更に精進せよ。
三に、本住処を移す用心。三界の火宅を出でて九品の浄刹に入らん
四に、本尊を奉請する用心。諸仏の前に在って転法輪を請ぜよ。
五に、業障を懺悔する用心。罪業の雲厚くも懺悔の風に散ぜん。
六に、菩提心を発す用心。本覚本有の吾られば発心すれば即ち成仏す。
七に、極楽を観念する用心。極楽実に外に無し、我性常に内に楽しむ。
八に、決定往生の用心。来迎の仏、何くにか出ず、最後の念の中に来る。
九に、没後追修の用心。もし冥路の相を現せば、早く追善の光を放て。

一に、身命を惜しむべき用心
壽限未だ決定せざるの間は、一向に身命を棄捨すべからず。且つは仏法に祈り、且つは医療を加へ、以て安身延寿の方術をなせ。是れ徒に躯命を愛するにはあらず。唯真乗を守る結縁を厚うせんと欲するなり。

二に、身命を惜しまざる用心
宿曜禄命を卜ひ、算道達摩に明かして命期を量り知らば、一向に菩提の行を修すべし。若し病患旬に亘り、気力日に衰へ、死の為に呑まれんこと必ず脱れ難きことを知らば、當に縁務を息めて専ら正念に住すべし。経に云はく、一切の諸世間、生ずるものは皆死に皈す。壽命無量なりと雖も要必ず終盡することあり、といへり。(大般涅槃經「一切諸世間 生者皆歸死 壽命雖無量 要必當有盡」)

若き形、日日に衰へ、老いたる體、夜夜に弊る。鮮やかなる花の色程もなく即ち耗る。惜しい留まらずして木の本に散ずるの色、盛んなる人の命,乍ちに滅し去る。戀しひかな還へらざるして焔の路に入るの體、無常の虎は貴賤を簡はず。先帝後民、皆ことごとく食ひ去り、焔魔の使ひは老少を斥ふことなく、若君老母等しく同じく追ひ行く。昨日の死は人の家の中、今日の災は我が身の上なり。拙いかな身命を抛って早く仏道に入れ。経に云く、一切有為の法は夢幻泡影の如く、露の如く、亦電の如し、まさに是の如くの観をなすべし、といへり。(金剛般若経に「一切有爲法 如夢幻泡影如露亦如電 應作如是觀」とあり。)


三に、本住処を移す用心
若し未だ出家世せずんば、早く鬢髪を除け。若し本住処にあらば心恐らくは生死に留まらん。重病身を逼め、段食飡し難く、医薬験しなくんば命終近きにあらん。本住の室を起って無常の坊に居せよ。若し無常の坊なくんば右の如く用心すべし。娑婆の穢所を捨てて極楽浄土を得ることを表する故なり。又品々の親属を捨てて、唯三五の知識を具せよ。財宝は甘毒なり。酔ふて正路を失ひ、名利は柔鏁なり。縛して邪道に置く。宮室は妄獄なり。覚めて早く此れを出でよ。父母は謀魔なり。知って早く彼を放て。太子は城を出でて五智の嶺峯に登り、大師は定に入って三密の醍醐に着きたまふ。移住の用心、意只これにあり。身心の出家この時に非ずんば何くぞや。一切停止して諸事寂静にせよ。

四に、本尊を奉請する用心
幡、若しくは五色の糸、兼日(あらかじめ)に之を弁ぜよ。糸の長さ一条丈尺に経て合わせて九尺を得。作法別にあり。已灌頂の人の所作なり。探玄記に云く、西国の法に依らば命を捨てんと欲ふものあらば、面をして西に向かって臥さしめて、前に於いて一の立仏の像を安じ、亦面をして西に向はしむ。一の幡の頭を以て像の手の指に掛け病人をして手に幡の脚を把らしむと云々。(華厳経探玄記賢首菩薩品第八「又見佛光中依西國法。有欲捨命者令面向西臥。於前安一立佛像。像亦面向西。以一旛頭挂像手指。令病人手捉旛脚。口稱佛名。作隨佛往生淨土之意。兼與燒香。鳴磬助稱佛名。若能作此安處非直亡者得生佛前。此人亦當得見佛光也。」)
今は東に向かって手に五色を掛けよ、西に向ふは引接、東へ向ふは来迎なり。向東向西又人意に任せよ。年来の本尊何れの諸菩薩なりとも若しくは幡、若しくは糸、像の手の指に掛け焼香断ぜずして(香煙の上には諸仏影向す)、其の命期を待つべし。

五に、業障を懺悔する用心
範師の意に云く、(範師、実範の「病中修行記」に出ず)、惑業はこれ大菩薩の障なり。久しく起造するところ必ず懺悔すべし。懺悔の方、多し。宜に随って要を取れ。或いは衣物を捨てて神呪を誦せしむ。所謂転法輪・召罪・摧罪・仏眼・金輪・寶筐・尊勝・光明・弥陀・滅罪・浄三業等の真言・禮懺経・五十三佛名・懺法等なり。(実範の「病中修行記」に「一、己発の惑業を除くべきこと。惑業は是れ大菩提の障なり。久しく起造する所、必ず懺悔すべし。懺悔の方、多し。宜に随って要を取れ。或いは衣物を捨てて神呪を誦せしむ。所謂尊勝・光明・弥陀の呪なり。・・」とあり。)病者當に彼の真言の體の阿字の義を念ずべし。滅罪の説、深く信じて疑ふことなかれ。或ひは密教に依ってただ実相を思へ。當に惑業は衆縁より生ずと想ふべし。衆縁生の故に有始有本なり。此の能生の縁も亦縁より生ず。展転して縁に随ふ。誰をか其の本とせん。此の如く観察するとき、則ち本不生際はこれ惑業の本なりと知る。惑業既に本不生際に皈すれば惑業即ちこれ本不生際なり。本不生際は即ちこれ法界,即ちこれ中道,即ちこれ実相なり。不実不妄にして定相あることなし。この故に惑業実相の中には憂悩可毀の定相あることなし。若ししからば豈に障道の用あらんや。妄有を堅執し真空を猶予することなかれ云々。重ねて転法輪に住して其の真言を念誦せよ。阿頼耶識の中に菩提を違背する種あり(往生を障ふる源なり、唯この種を断ぜよ)。次に法輪の印を結んで彼の厭離の輪を摧け、といへり。

六に、菩提心を発す用心(これに総別二種あり)
菩提心論にいはく、我れ今、阿耨多羅三藐三菩提を志求して余果を求めず、誓心決定するがゆえに魔宮震動し十方の諸仏皆ことごとく証知したまふ。乃至その行相とは三門を以て分別すべし。諸仏菩薩昔因地に在して是の心を発し已って勝義、行願、三摩地を戒となし、乃し成仏に至るまで時として暫くも忘るることなし。唯真言法の中にのみ即身成仏するが故に是三摩地の法を説く。諸経のなかにおいて闕して書せず、といへり。(以上総路の菩提心なり)。
一に行願の菩提心。我まさに無余の有情界を利益し安楽すべし。十方の含識を観ること猶し己身の如し、と。
「金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論」に「我當利益安樂無餘有情界。觀十方含識猶如己身」
この文の中に二あり。一には利益の菩提心なり。二には安楽の菩提心なり。一に利益の菩提心とは凡そ心あるものは皆、本覚の大日如来・阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空如来等の五智、三十七智、一百八智、乃至十佛刹、微塵等の無辺の智佛、無数の理佛を具して一衆生として成仏せざるものなし。ことごとく勧めて當に菩提心を発さしむべし。故に論に云はく、まさに、知るべし一切有情は皆如来蔵の性を含して皆無上菩提に安住するに堪任せり、この故に二乗の法を以て得度せしめず、といへり。

二に安楽の菩提心とあh、一切有情は皆成仏の器なり。有識有情は當生の諸仏、遮那釈迦は已生の如来なり。有情を悩ます者はすなわち如来を悩ますなり。衆生を軽んずるものは諸仏を軽んずるに擬す。有情を逼めて苦心を生ぜしむることなかれ、ゆえに論に云はく、既に一切衆生は畢竟じて成仏すると知るが故に敢へて軽慢せず、乃至衆生の願に随って之を給付せよ、乃至身命をも悋惜せず、といへり。

二に勝義の菩提心論。論に云はく、一切の法は自性なしと観ずと、いへり。(金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論に「二勝義者。觀一切法無自性」)所謂一切法とは此に九種の心法あり。異生羝羊住心乃至極無自性心也。謂く凡夫を聖者に望め、菩薩を佛陀に比するに転々相望して各々無自性なり。故に、大師の云はく、九種住心無自性、転深転妙皆是因とは、(『秘蔵宝鑰』に「九種の住心は自性なし,転深転妙にしてみなこれ因なり。真言密 教は法身の説,秘密金剛は最勝の真なり」)この二句は前の所説の九種の心は皆至極の仏果にあらずと遮す。九種といふは異生羝羊心乃至極無自性心これ也。中に就いて初めの一は凡夫の一向行悪行不修微妙少善を挙げ、次の一は人乗を顕し、次の一は天乗を表す。即ちこれ外道なり。下下界を厭ひ、上生天を欣って解脱を願楽すれども、遂に地獄に堕す。已上の三心はみなこれ世間の心なり。未だ出世と名けず。第四の唯蘊以後は聖果を得と名く。出世の心の中に唯蘊と抜業とはこれ小乗の教、他縁以後は大乗の心なり。大乗において前の二は菩薩乗なり。後の二は佛乗なり。かくのごとくの乗乗、自乗には仏の名を得れども後には望むれば戯論と作る。前前は皆不住なり。故に無自性と名く。後後は悉く果にあらざるゆえに皆是因とはいふなり。

三に三摩地の菩提心。それ応化の如来は秘して談ぜず。傳法の菩薩は置ひて論ぜず。自性法身大日如来、自眷属とともに各々三密を説いて自受法楽したまふ甘露醍醐なり。これを秘密荘厳心と名くるなり。小機のもののためには一字をも説くことなかれ、もし疑心を作さば無間の人とならん。信男信女まさにこの法を学ぶべし。論に云はく、何が能く無上菩提を証する、まさに知るべし法爾に普賢大菩提心に応住せり、一切衆生は本有の薩埵なれども貪瞋痴の煩悩のために縛せらるるが故に諸仏の大悲、善巧智を以て此の甚深秘密瑜伽を説いて修行者をして内心の中に於いて日月輪を観ぜしむ。此の観を作すに由って本心を照見するに湛然として清浄なり、乃至我自心を見るに形月輪の如し、といへり。謂く心月の如きは義無量なりと雖も且く十種を挙げて観心の要となさん。

心月輪の観
月の円満なるがごとく、自心も闕くることなし。万徳を具足し、種智を円満せり。月の円形なるを見て、心の満體を観ぜよ。福智を円満せる双圓の性佛なり。

心月潔白の観
月の潔白なるが如く、自心も白法なり。永く黒法を離れて常に白善を興す。月の白色を見て心の白質を観ぜよ。自性浄白にして性徳の本源なり。

心月清浄の観
月の清浄なるが如く、自心も無垢なり。自性清浄にして無貪無染なり。月の浄徹を見て心の浄性を観ぜよ。本より貪染なし。元これ浄佛なり。

心月清涼の観
月の清涼なるが如く、自心も熱を離れたり。慈悲の水を灑いで、瞋恚の火を消せよ。月の涼光に觸れて、心の慈水を澄ませば無量の恚焔、一時に消滅す。

心月明照の観
月の明照なるが如く、自心も照朗なり。本より無明を離れて常にこれ遮那なり。心月、臆に澄む、五障なんぞ闇からん。圓鏡、意を瑩いて、光明遍く照らす。

心月独尊の観
月の独一なるが如く、自心も独尊なり。諸仏の尊ぶところ、萬法の皈するところなり。心殿は比泣き、心王の如来。識都に竝び居すは、心数の眷属なり。

心月中道の観
月の中に処するが如く、自心も邊を離れたり。恒に中道を極めて永く邊執を越へたり。顕教の邊を離れて、真言の中に住す。應佛の國を過ぎて法身の宮に入る。

心月速疾の観
月の遅からざるが如く、自心も速疾なり。秘密の輪を転じて、刹那に断惑し、心を浄土に懸くれば、十方遠からず。神通の車に乗じて須臾に成仏す。

心月巡転の観
月の巡転するが如く、自心も無窮なり。心水に還り入って利物の波を起こす。正法の輪を転じて、邪迷の闇を破し、萬徳無窮にして二利断ゆることなし。


心月普現の観
月の普く現ずるが如く、自心も遍く静かなり。化縁水静かなれば普く萬機に浮かぶ。一體を分たずして九界の前に現じ、多身を假らずして十方の土に臨む。

已上月輪、已下阿字
八葉の白蓮一肘の間、阿字素光の色を炳現す。
禅智倶に金剛縛に入れて、如来の寂静智を召入す。(秘蔵宝鑰巻下にあり)
阿字の義は亦無量なりと雖も且く十義を挙げて以て無尽を顕す。

阿字平等の義
阿字は諸法に高下あることなし。體本より平等にして差別なきが故に。心體阿も本より等うして凡聖の異なし。仏性闡提一如平等なり。



阿字無別の義
阿字は諸法無分別の義なり。自体清浄にして垢染なきが故に。心體もとより離れて煩悩の染なし。本来清浄にして一味一色なり。

阿字無生死の義
阿字は諸法無生死の義なり。有分別無分別を離るるが故に心體も本生なれば分段の分別と変易の無分と相寂常住なり。

阿字本不生の義
阿字は諸法本不生の義なり。妄念不生なれば浄法も不生なり。心體も無為にして永く起滅せず。心海常住にしてすべて波浪なし。

阿字無始の義、
阿字は諸法に終尽あることなし、本来本有にして初起なきがゆえに、心體も本有にして無始無終なり。法界に周邊して常住一際なり。

阿字無住の義、
阿字は諸法無住所の義なり。生死にも住せず、涅槃にも留まることなし。心體も不住なれば染浄不定なり。遍法界に応じて至らずといふ所なし。

阿字無量の義。
阿字は諸法に限量あることなし。万法唯阿なれば阿字も無量なり。我が心、遍法なれば心體すなわち諸法なり。諸法無量なれば心もまた無量なり。

阿字無我の義
阿字は諸法無二我の義なり。人我不生なれば法我すなわち空なり。我が心すなわち阿なれば衆生もすなわち阿なり。阿阿にして無我なれば一阿にして真我なり。

阿字無為の義
阿字は諸法に無為常住なり。有意の萬法皆阿字に帰す。一阿を離れて妄の有為を表することなし。三毒に即して真の無為を顕はすことあり。

阿字無闇の義、
阿字は諸法無闇冥の義なり。體無明を離れて常に明了なるが故に、心無明を離る。これを大日と名く。生死の長夜この時永く暁ぬ。

問ふ、阿字と心月と同なりや異なりや。
答ふ。同にして即異、異にして即同なり。同に非ず、異に非ず。亦は同,亦は異なり。(十六重の義、今且くこれを略す。(これは大師が法華経解題等でおっしゃっている十六玄門のことか))是れ則ち菩提心の體性なり。



問ふ、正しくこれを観ずる方法如何。
答ふ。若しは阿、若しは月、これを図造せよ。その形、白河の色に染めて微妙厳麗にして世に比類なくして持して浄処に掛けよ。四尺ばかりを去って向かって端座して眼を開くには下より上へ、眼を閉ずるには上より下へ、出入の息に随って之を観じ、之を見よ。此くの如く日を積むに初心には見難けれども後心には見易し。眼を閉じて向かはざるに漸く顕れ見え去る、若しくは顕るれば図造の月・阿にむかふなかれ。唯眼見を縁ぜよ。文に云く、この観は万行の尊主、諸定の帝王、出凡の正門、入聖の直道なり。疑謗の逆縁、猶し権教の戒行に優れり。信帰の順縁誰か顕乗の智観に比せん。何にいわんや深行をや。三毒十悪は変じて曼荼の功徳となり、四重五逆は転じて瑜伽の密行に帰し、一百六十の妄執は断道を仮らずして自ら絶え、四万八千の煩悩は対治を待つこと無うして忽ちに消えぬ。三祇の長劫これを半念に縮め、六度の廣行これを一観に摂す。煩悩生死の睡暗、今永く断え、菩提涅槃の覚月、ここに始めて現る。浅観小行の人はこの身を捨てずして転じて極楽の上品上生を得、深修大勤の類は彼の心を改めずして変じて密厳の大明大日となる。易修易証の道、すでにこの行に越ゆることなし。難知難聞の法、豈にこの門を過ぐることあらんや。文に云く、この観を修するものは所起の五逆・五重十悪・及び一闡提、是の如くの罪障悉く皆消滅して即ち五種の三摩地門を獲、如何が五と為す、一には刹那三昧、二には微塵三昧、三には白縷三昧、四には起伏三昧、五には安住三昧と云々。(深義さらに問へ)。論に云く、若し纔に見るものをば則ち真勝義諦を見ると名け、若し常に見るものをば菩薩の初地に入ると云々。(金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論「・・八葉白蓮一肘門 炳現阿字素光色 禪智倶入金剛縛 召入如來寂靜智 扶會阿字者。揩實決定觀之。當觀圓明淨識。若纔見者。則名見眞勝義諦。若常見者。則入菩薩初地。若轉漸増長。則廓周法界。量等虚空。卷舒自在。當具一切智。凡修習瑜伽觀行人。當須具修三密行。證悟五相成身義也。・・」)。
問ふ。己に阿字と心月と即ち菩提心の體性なることを知んぬ。未だ知らず、この心に幾くの差別ありや。
答。廣すれば則ち無辺なり。略すれば二に過ぎず。一には能求の菩提心、二には所求の菩提心なり。能求の道心とは大日経に云く、自心に菩提心と及び一切智とを尋求す。何を以ての故に、本性清浄なるが故に、と云々。 (  大毘盧遮那成佛神變加持經卷第一入眞言門住心品第一「佛言祕密主。自心尋求菩提及一切智。何以故本性清淨故。心不在内不在外。及兩中間心不可得。・・・」)菩提心論に云く、「我今阿耨多羅三藐三菩提を志求して余果を求めず、と云々。(金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論、「大廣智阿闍梨云。若有上根上智之人。不樂外道二乘法。有大度量。勇鋭無惑者。宜修佛乘。當發如是心。我今志求阿耨多羅三藐三菩提不求餘果。誓心決定故。魔宮震動。十方諸佛皆悉證知。常在人天。受勝快樂。所生之處。憶持不忘若願成瑜伽中諸菩薩身者。亦名發菩提心・・・」)大師の文に云く、「能求の心とは譬ば人あって善と悪とを為さんと欲するにには必ず其の心を標して而して後に其の行を行ずるが如く、菩提を求むる心も亦福かくの如し。既に狂酔して三界の獄にあり、熟眠して六道の藪に臥すことを知んぬ。何ぞ神通の車を駈って速やかに本覚荘厳の床に帰らざらんといへり。早く無明の眠りを覚まして五佛の眼を開き、速やかに煩悩の酔ひを治して四曼の都に遊ばん。所求の道心とは大師の云く、無尽荘厳金剛界の身これなり。大毘盧遮那四種法身、四種曼荼羅、皆是れ一切衆生本来平等に共に有セリ。然りと雖も五障の覆弊を被り、三妄の雲翳を被り、三妄の雲翳によって覚悟することを得ず。若し能く日月の輪光を観じ聲字の真言を誦じ、三密の加持を発し,四印の妙用を揮へば則ち大日の明光廓、法界に周く、無明の障者忽ちに心海に帰し、無明忽ちに明となり、毒薬乍ちに薬となる。五部三部の尊、森羅として圓現し、刹塵海滴の佛忽然として湧出す。此の三昧に住するを秘密三摩地と名くと云へり。(大師の三昧耶戒序に「能求心者。譬如有人欲爲善與惡。必先標其心而後行其行云云。求菩提之人亦復如是。又如狂人解毒忽起歸宅之心。遊客事畢乍發懷
土之思。求菩提之心亦復如是。既知狂醉在三界之獄。熟眠臥六道之薮。何不驅神通之車速歸本覺莊嚴之床。此則能求之心。所求心者。所謂無盡莊嚴金剛界身是也。大毘盧遮那四種法身四種曼荼羅。此是一切衆生本來平等共有。雖然被五障之覆弊。依三妄之雲翳不得覺悟。若能觀日月之輪光。誦聲字之眞言。發三密之加持。揮四印之妙用。則大日之光明廓周法界。無明之障者忽歸心海。無明忽爲明毒藥乍爲藥。五部三部之尊森羅圓現。刹塵海滴之佛忽然
涌出。住此三昧1諸佛名祕密三摩地。」)

問ふ。何んか観じて能く此の菩提心を発するや。
答。文に云く、夫れ無上菩提心を発せんと欲はば、先ず深心を以て仏の法身を観ぜよ。性海湛寂として無生無滅なり。衆生痴闇にして自ら覚に由なし。諸仏如来、この輩を愍念し大悲の浪を起こして生死の海に流し、大教の網を張って顕密の機を済ふ。しかるに我等今教網に遇うて既に罹れり。當に彼岸近きことを知るべし。今度脱漏せば永く生死に留まらん。當に深広の大菩提心を発すべし。誓願して一切の悪法を断除し、誓願して最上の法門を修習し、誓願して一切の有情を度脱し、誓求して速やかに無上菩提を証せん。所謂菩提とはこれ諸仏法身の六大(地水火風空識)、亦これ衆生本覚の四曼(大曼荼羅、三昧耶曼荼羅、法曼荼羅、羯磨曼荼羅)なり。
問ふ。若し爾れば此の三昧地を修する者は幾くの時分を歴て成就することを得や。
答。若し相続修に拠らば十二年を過ぎずして有相即ち成就し、無相も亦漸く現ぜん。

問ふ。若し爾れば唯この観を修して成仏を得るや。
答。唯此の観によって全く余修なし、懈怠小機の者は順次往生の大願を遂げ、精進大機の者は現身成仏の悉地を得ん。何を以ての故に、一心に萬行を摂して行として行ぜざることなく、一観に諸観を含んじて観ぜざることなし。故に大日経に云く、若し勢力の広く饒益すること無くんば、法に住じて但だ菩提心を観ぜよ。仏この中に萬行を具して浄白純浄の法を満足すと説きたまへり。(祕藏寶鑰に「若無勢力廣増益住法但觀菩提心。佛説此中具
萬行滿足淨白純淨法也。此菩提心能包藏一切諸佛功徳法故。若修證出現則爲一切導師。若歸本則是密嚴國土。不起于座能成一切佛事。讃菩提心曰若人來佛慧 通達菩提心父母所生身 速證大覺位・・」
)論に云く、若し人佛慧を求めて菩提心に通達すれば父母所生の身に速やかに大覚の位を証す、といへり。(金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論「讃菩提心曰
若人求佛慧 通達菩提心 父母所生身 速證大覺位」)。

第七に、極楽を観念する用心。
獅子三蔵の意の云く、顕教に云ふ極楽とはこれより西方十万億土を過ぎて佛土あるなり。仏とはこれ弥陀、宝蔵比丘の証果なり。密教の云ふ、十方極楽は皆これ一仏の土、一切如来は皆これ一仏の身なり。娑婆に殊んじては更に極楽を観ずることなし。何ぞ必ず十万億土を隔てん。大日を離れて別に弥陀あrず、又何ぞ宝蔵唱覚の弥陀ならんや。密厳浄土は大日の宮位、極楽世界は弥陀の心地なり。弥陀は大日の智用、大日は弥陀の理體なり。密厳とは極楽の総体、極楽とは密厳の別徳なり。最上の妙楽密厳に之を集む。極楽の称、弥陀の号これより起こる。然るに彼の極楽は何れの処ぞ。十方に遍ぜり。観念座禅の房、豈に異処にあらんや。此の如く観ずる時、娑婆を起たずして忽ちに極楽に生じ、我が身、弥陀に入り、弥陀を替えずして即ち大日となる。吾身、大日より出ず。是れ則ち即身成仏の妙観なり。

八に、決定往生の用心(この用心、最も大要なり。極悪の人往生を得)。
是れ則ち最後臨終の用心なり。知識五人を召して、猶能く事を約束すべし。もし別願あって好んで端座せば意楽に任ずべし。唯し如来既に頭北面西にして涅槃に入り給ふ。釈種の軌儀良に之を仰ぐべし。我も頭北面西に臥さん。(鹿の屈して臥すが如く左の膝を少し促めよ。鹿の字、恐らくは獅子の音語)。眼を本尊に懸けて合掌して五色を取れ。若しは本尊の印を結び真言念仏の三密怠らざれ。是れ則ち決定往生の相状なり。若し此の威儀に住せば一切呵責すること勿れ。中間に杜哥(社哥)を示せば心散乱あらんか。知識の人人、鳴らずして静かに居せよ。(知識用人の外、同室に入るべからず。中に就いて酒肉五辛を食はば早く之を出すべし)。我れ若しは念仏若しは本尊の真言を唱へば聲を細うして付け誦し、思ひ忘れん所を勧めしむべし。禅定に入るが如くして往生を遂げんことを願ふ。一人の智識は(この一人は必ず有縁の道心を用ゆべし。病者この一人に於いて能引接の観音の想をなすべし)。病者の面、少し南に依って(臍に當る)近く座して眼を病者の面門、印相に懸け、慈悲の心に住して以て将護すべし。能引の心を発して同音に念仏せよ。(若し病者音へ乙ならば智識,甲にせよ。念誦・経論等兼日儲け置いて知識時に臨んで示せ)一人の智識は(久修練行の人を用ゆべし)、病者の東少し北に依って(頭に當る)三尺許りを去って住止すべし。眼を病者の迹、枕の左右に懸けて不動尊を祈念して慈救の呪を満つべし。天魔外道の障礙を避けて臨終正念にして其の心に安住し、悪鬼邪神の留難を除いて極楽に往生せん。彼の願を成ぜしめよ。一人の智識は病者の北方にあれ、(若し依る所なくんば便宜の所にあり)、金を鳴らすの時、微音高聲、病者の心に随へ。二人の知識は便に随って居止して要事を待つべし。若し時に合殺せば四人同音せよ。此れ則ち五智の菩提を求むる臨終の軌儀なり。若し病苦身に逼って東西を知らずんば當に頭北面西に臥さしむべし。摩水、心を破って善悪を弁えずずんば手を合掌せしめて面を仏に向かはしむべし。又無記すでに現じて分別の心なく陰魄いちなり、残って猶し熟眠するがごとく余気纔に通じて宛も死人に似たり、若し此のときに當らば出入の息を見て目を暫くも捨てず病者の息の延促を以て知識の息の延促に合わせて病者と知識と息を同時に出入して必ず出る息ごとに念仏を唱へ合わせて我に代わって我が往生の深きたのみを助けよ。一日二日乃至七日断息を期とす。捨てて去ることを得ざれ。人死する作法は必ず出息んき終わる。終わるたびの息を待って當に唱え合わさんと欲ふべし。若し唱え合わすことを得れば、四重五逆等の罪を消滅して必ず極楽世界に往生することを得、所以如何とならば病者余気を断ちて虚しく命を捨つるとき、知識、弥陀を呼んで実に利生を請へば本願、縁に趣いて必ず引接を垂れたまふ。又當に観念すべし、口より南無阿弥陀仏(梵字)の六字を唱へ出だせば病者の引く息に従って即ち病者の口に入って皆日輪の相を現じて各の六根の処に出でて紅頗梨の光を放って六根の罪障の闇を破す。この時に病者、無始以来の生死長夜の闇晴れて日相を見(日想観の文義さらに問へ。)即ち往生を得ん。経に、五逆の罪人も若し知識に遭へば将に往生することを得、と説き給へり。これこの謂ひか。若し我れ正念に住せば知識必ずしも何の用ぞ。邪念と無記とを現ぜば當に彼の時の苦を助くべし。
九に没後追修の用心。
守護国界陀羅尼経の意、若し人、命終して當に地獄の中に堕すべきは十五の相あり。
経に云く、「一には、自の夫妻・男女・眷属において悪眼をもって瞻視す。二には、その両手を挙げて虚空を捫摹す。三には、善知識の教に相随順せず。四には、非号啼泣嗚咽して涙を流す。五には、大小便利を覚せず知ぜず。六には、目を閉じて開かず。七には、常に頭面を覆う。八には、側ち臥して飲噉す。九者身口臭穢なり。十者脚膝戰掉す。十一には鼻梁欹側す。十二には右眼瞤動す。十三には兩目變赤す。十四には仆面而臥す。十五には踡身左脇著地而臥す。以上十五の相随って一も現在前して死を取り畢らば応に一百四十四の地獄等の中に堕罪すと知るべし。既に生処を知る、精いで彼の苦を済へ。所謂佛眼、金輪、正観音、地蔵等の法、これを修行すべし。若しは絵き、若しは造って供養を致すべし。又理趣経、五十三佛名、宝筐、尊勝、光明真言、破地獄、宝楼閣、華厳経の菩薩説偈品、法華経等なり。以上の三宝は殊に地獄の衆生の苦患を済ふ。本誓悲願の功力餘に勝るなり。復人命終の時に臨んで八種の相あれば必ず焔魔羅界の餓鬼趣の中に堕す。経に云く、一には好んで其脣を舐る。二者身熱如火。三者常に飢渇を患へて好んで飲食を説く。四者口を張って合せず。五者兩目乾き枯れて鵰孔雀の如し。六者小便大便遺漏あることなし。七者右膝先ず冷ゆ。八者右手常に拳る。何を以ての故に心に慳吝を抱けばなり。以上八相の中に随って一も現前すればまさに三十六種の餓鬼界の中に堕在すと知るべし。既に生処を知る、精いで彼の苦を済へ。所謂、宝生如来、虚空蔵、地蔵、千手、壇波羅蜜、施餓鬼等の法、これを修したてまつるべし。又五十三仏名等、十甘露の呪(阿弥陀如来根本陀羅尼)、雨寶陀羅尼等これを念じ奉り廻向すべし。又施行を致すべし。又自恣の僧を供養すべし。以上の三宝は殊に餓鬼の苦患の忍び難きを済ふ本誓悲願の功力餘に勝るるなり。又畜生道に堕在するに五種の相あり。経に云く、一者、妻子を愛戀し貪視して捨ず。二者、手足指を踡む。三者、遍體流汗。四者、麁澁の聲を出す。五者、口中に沫を咀む。以上五種の相の中、随って一も現前せばまさに七類の畜生に堕在すと知るべし。既に生処を知る、精ひで彼の苦を済へ。所謂、阿弥陀如来、般若波羅蜜菩薩、文殊師利菩薩、金剛灯菩薩、馬頭観音、これを修行すべし。又五十三佛名等、光明真言,理趣般若、般若心経、光讃般若経等これを念じ奉り廻向すべし。以上の三宝は殊に畜生を済ふ本誓悲願の功力餘に勝るなり。若し三悪道の相、同時に相雑り或は都べて何れの相と知らずんば、所謂、滅悪趣尊の護摩秘法、急急に之を行じ、早々に之を済へ。我れ閉眼の刻み、若し悪相を見ば、且は忠孝の心に入り、且は慈悲の門に出でて速に追修の善根を植へ、疾く菩提の果実を授けよ。娑婆の病悩猶堪え難し、阿鼻の罪苦なんぞ忍び易からん。努めて遺言に違ふことなかれ。我れを済ふて道を成ぜしめば還って必ず汝らを導かん。普賢の行願を行じて同じく無上道を証せん。(一期大要秘密集、終)
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