中露朝の凶暴化に対し日本の安全保障もアメリカの混迷で風前の灯火、首都圏大地震等の大災害も迫る中で、日本は上から下まで救い難い「平和ぼけ」に陥ったまま有事への覚醒の兆しも全くありません。まさに日本国は危機一髪です。
このような時、庶民はなにをすべきか。ただ評論家然と批判するのみではなく、行動することが大切です。それには迂遠ようですが「十善戒」です。
「十善戒が国を護る(釈雲照「十善業道経講義」より)」
「国の存するは、仁義これにあり。人の生ずるゆえんは行善これなり。国、義なければ大なりと雖も必ず滅び、人善心なければ惟だ勇なれども必ず傷る」(淮南子)
「三綱(君臣・父子・夫婦の道)弛び紊れて五常(仁義礼智信)廃れ絶ゆるときは、旱澇飢饉し邦国荒涼す。国十善を行い、人五戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)を修すれば、五穀豊登し万民安楽なり(守護国界主陀羅尼経)」
栄西は『興禅護国論』の第二門 に 「鎮護国家門」を立て、その最初に『仁王経』をおいて「仏、般若をもつて現在 ・未来世の諸の小国王等に付嘱して、もつて護国の秘宝とすと。その般若とは禅宗なり、謂く境内にもし持戒の人有れば、すなはち諸天らの国を守護すと云云」といって、持戒者があ れば諸天はその国を守るとい う。
畢竟するに一切の善業という善業は皆この十善から出る。一切の吉事という吉事はみなこの十善の結果である。一切の悪事という悪事は悉くこの十善に反した十悪の結果である。・・・お釈迦様が阿難尊者を連れて竜王の所にいってお説きあそばされたのがこの十善業道である。・・仏法のことは人間以上の智でなくてはわからぬから疑わずにただ信ずるがよい。信心は仏法では第一で龍猛菩薩は「仏法の大海は信を以て能入とする」(大智度論に「仏法の大海は、信を能入と為(な)し、智を能度と為す。『如是』の義とは、即(すなわ)ち是(こ)れ信なり。若(も)し人、心中に信有りて、清浄なれば、是(こ)の人は、能(よ)く仏法に入る。」)とおすすめくだされてある。根本は信心にある。この信心さえあれば仏法のありがたいところが益々身に沁々と生じてきて、ひとりでに身口意の三業の上に表れ、仏教を供養礼拝するようになる。・・凡て仏法のことは唯だ研究して知ったというだけでは所詮がない。その知る上に今一つ実行するという行が大切なのでありますから諸君にもこの十善業道の実行を勧めます。実行して成仏の功徳荘厳を得られよ、これが拙老(釈雲照師)の最後の言葉として遺しておきます。(十善業道経講義・釈雲照)