福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

金山穆韶『大日経綱要』の要約その23

2014-11-13 | 諸経
第六、三十種外道
浄心の起こる因縁を示そうとして三十種の外道を説く。これら外道はいずれも妄我執をもととしているが、かかる妄我の見は我の真実性を感じないところから起こる。大日経には「無始生死の愚童凡夫は我名我有に執着して、無量の我分を分別す。・・」とある。
迷うもとは我執にあるのだからこの我執を取り除かなければ順理の浄心の生ずるよすががない。そしてこの妄我の迷いを打破するにはただ我の真実性を観ずることである。すなわちすべてが因縁により生じているもので我が体も空でると観ずることである。(これは大日経のこの部分「祕密主。無始生死の愚童凡夫は我名我有に執著して、無量の我分を分別す。祕密主よ、若し彼れ我の自性を觀ぜざれば、則ち我と我所を生ず。餘は復た有、時と、地等の變化と、瑜伽の我と、建立の淨と、不建立の無淨と、若は自在天と、若は流出と及び時と、若は尊貴と、若は自然と、若は内我と、若は人量と、若は遍嚴と、若は壽者と、若は補特伽羅と、若は識と、若は阿頼耶と、知者と、見者と、能執と、所執と、内知と、外知と、社怛梵と、意生と、儒童と、常定生と、聲非聲とを有と計す。」でありこれらは金山穆韶師によると)これらを大別すれば、宇宙萬物の生起に関する説、解脱に関する説、われに関する説、の三種に区別される。
・㈠宇宙萬物の生起に関する説としては、自在天、那羅延天、遍厳等の神が創造すると説くもの、或は地水火風空が世界生起の原因であるとするもの、或は萬物は時を原因とするというもの、萬有は自然に生起するとするもの等である。
・㈡解脱に関するものとしては、この身の内外に「我」ありとするものは「内我と、若は人量と、若は遍嚴と、若は壽者と、若は補特伽羅と、若は識と、若は阿頼耶と、知者と、見者と、能執と、所執と、内知と、外知と、社怛梵と、意生と、儒童と、常定生と、」である。次に声と非声の常住説と無常説である。大日經ではこれら諸説は我の「自性」を観じないところからくる迷いであるとする。大師も「十住心論」で「三十の大外道は各々に真に迷うて輪の如く転ず」といわれた。大師はこれら三十種の外道を十住心の中の第一住心とされた。(第一住心・・「異生羝羊心」というもっとも低い心の状態)
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