地蔵菩薩三国霊験記 9/14巻の10/13
十、正直に依りて神通を得る事
豊後國のかたはらに住みける下男、自ら一生不犯にして正直を第一とす。常に地蔵の名号を唱てをこたらず、人呼んで地蔵三郎とぞ申しける。或時主人申しけるは今日は吉日なり、ことさらにのどかに天気よき折なれば田をかるべきぞ他行すべからずと申し付けたりければ、承はると申す。主人心安く思ひ同縣の観音寺に詣で見れば件の地蔵三郎人の供したりとをぼへて此のところに侍りき。主人安楽寺へ参りみるにまた前に立ちて件の様なり。主人思ず不思議のことなり、稲刈るべきよし申し付けたる上に人の供奉して来るべき由なしと家に下向して見ければ件の男はやはり家にありぬ。あまり奇異の事なりとて彼の男を近付けていかにや今日田をば刈たるやらんと問ければ、刈りたる由をぞ答けり。汝今日しかじかの所に人の伴して詣でつると問ふに、さること侍りきと申す。主人あまりの不審さに人を遣りて見けるに男の言ごとく稲は刈りて置けり。且へ二十人しても刈るべきを唯一人して刈り納めけること不通のことなれば、真に事の由来を尋ねければ、元来正直のものにてありければ、ありのままにぞ語りける。地蔵菩薩の御伴して行きける由を申しける。さてこの竈戸山の宝満菩薩(現在は福岡県太宰府市宝満宮 竈門神社となっている)は本地地蔵菩薩にて御座すと申し傳へける。神体は女体にて毎日地蔵に御対面ありて利益衆生の方便を御物語あるを、たしかに聴聞し侍りきと申す。其の後彼の男七日八日なれども見ざることあれば皈る時には先立て異香室に満ける。此の間何方へ行きつるぞつつまず語れと主人の問へば無垢世界(法華経提婆達多品に説く、龍女が成仏したという浄土)とやらんに地蔵の御供に参りたりと答ふ。さて此の間はいかやうのものか食けるぞと云へば樒の葉のごとき葉を食いけるが其の味甘未にして飢渇更になし。されば田を耕すにも一人して二三十人の所作をなんしける。是則ち地蔵薩埵の神通妙用の利益をあたへ玉ふにてぞあんめる。主人の云く、凢そ地蔵につかえるには何れの業(わざ)か勝ると云。答云、菩薩の吾に示し玉ふに三の宝珠を持ちて一つの錫杖を携へば是人必ず我伴たるべしとの玉ひき。三の宝珠とは一つ無我、二つ及施、三つには不放逸なり。一の錫杖とは偏に結縁をもて先とすべき是なり。されば世尊も三不能ととき玉へり。佛の御意だにも叶ひ玉はぬこと三つ侍りき。其の中に無縁の衆生とて結縁なき人をば救がたしと説き玉へりとぞ語りける。されば諸佛も菩薩も結縁の便として難化の衆生をば得度し玉ふべき故なり。されば此の下男も心正直にして他念なく地蔵を信じ奉りし故に今世能く心眼明かとなりて身を現じて利益し玉へり。後世の佛果豈うたがはんや。